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政治学から見るAKB総選挙

政治学から見るとAKB選抜総選挙は興味深い要素が盛りだくさん。
それらの解説を通して、政治学も学んでもらおうというブログです。

 長くなりましたが、AKB総選挙に戻ってみましょう。AKB48誕生時から人生かけてサポートしているようなヘビーなファンと、今回のAKB総選挙で初めてCDシングルを買ったライトなファンがいるとしましょう。11票で投票する場合、これら2人は同等に扱われて、集計されます。「AKB総選挙は選挙でない」と主張する立場は、この集計結果こそが重要で正しいと考えていることになります。


 しかしこの方式だと何だか納得できない人も多いのではないでしょうか。この納得できない原因の一つは、前回でも扱いましたが、熱意(これを政治学ではインテンシティと言います)に配慮しておらず、熱意を汲み取ることができないからです。


 それではAKB総選挙はどのようにみなすことができるでしょうか。AKB48総選挙の投票権から考えてみましょう。AKB総選挙では11票ではありません。そのため選挙結果は、AKB48を支持する人たち(ここではAKB48コミュニティと呼びます)の人数配分を示すのではなく、AKB48コミュニティにおける熱意の総体の方向性を計測したといえるでしょう。



 こう考えると、「AKB総選挙は(日本で実施されている)『選挙』と同じではない。だから意味がない。」というように、結果を否定的にとらえるべきではないことがわかるでしょう。むしろ熱意を考慮しているという点を考えると、単純な11票よりも優れているともいえるのです。現在の選挙制度で、11票という平等選挙も当然意味があるのですが、熱意を考慮できる選挙制度を考えるときに、AKB総選挙は非常に有益な参考例を提示しているといえます。


 実は今回の記事内容と同じ視点を持っているメンバーがいます。大島優子は2位の受賞スピーチで「AKB総選挙は選挙か」に答えるとき、「私たちにとって、票数は愛です」と述べました。この「愛」を「熱意」に読み替えてもらうと、今回の記事が良くわかると思います。例え1人であっても、多くの愛を示すことはできます。そしてAKB総選挙は、その深さを測ることができるシステムなのです。



 個人的に驚いたのは、大島優子はこのAKB総選挙のポイントを正確に理解していることです。大島優子は前回選挙で1位、今回は2位というAKB48の中心的存在の1人ですが、それに十分に値するセンスをもっているといえるのではないでしょうか。




 ところで、11票の多数決で何かを決めていくことに問題はないでしょうか。私は日本で教育を受けました。日本では特に小中学校のクラスなどでは、何かを決めるときに、多数決で物事を決めていくことが多いように思います。そしてそれが「『正しいこと』とみなされている」と思います。もちろん多数決が間違っているわけではないでしょう。しかし多数決というのは非常にアンフェアな側面があります。ここで実際の政治でも議論されている農産物の自由化という政策について考えてみましょう。



 農産物の自由化には多くの局面があるけれども、ここでは単純に以下のような結果になるとしましょう。農産物の自由化は、農業従事者にとっては農業をやめなければならないほどの死活的な問題であり、消費者にとっては価格がちょっとだけ安くなる程度だと仮定します。



 このような状態の時に、単純に多数決をとった場合、おそらく自由化されてしまうことになりそうです。なぜならば人数では農業従事者よりも消費者の方がはるかに多いからです。しかし農業従事者にとって死活的な問題であり、消費者にとってみるとそれほど深刻な問題でない場合、簡単に自由化は達成されません。実際の政治でも同じような状況です。



 自由化が達成されないのは、多数決ではすくい切れない要素があるからです。先ほどの例でいうと、農業従事者は自分の生活をかけてでも反対せざるを得ません。なぜならば自分の生活基盤が自由化によって破壊されるからです。その結果、農業従事者に後押しされた政治家などが自由化に反対票を投じる結果になります。このように何かを成し遂げる熱意の量も重要な要素となります。

 


 その一方で、消費者にとってみれば野菜や果物は安ければ安いほど良いことになります。しかし多少の価格差の場合、その価格差を許容できるのであれば、自分から積極的に農産物の自由化のための運動をするモチベーションはあがりません。熱意は小さいということになります。その結果、人数では多い消費者の意見がいつも採用されるわけではありません。


 実際の政治では、選挙だけで物事が決まるわけではありません。農業従事者は自分たちの利益を守るために集団を作り、政治家や官僚、メディアなどに働きかけていくことになります。この時に形成する集団を、政治学では「利益集団(利益団体)」といいます。実際には自由化を推進したい人たちも利益集団と作ることが多いため、それぞれで綱引きがなされます。


 このように、単純な多数決では個人を均等に扱う反面、その個人個人の熱意の違いを汲み取ることができないのです。また人数は多いけれども非力な集団と、人数は少ないけれども力持ちの集団が綱引きをしたとき、少数の力持ち集団が勝つことがありえるのです。この関係を考えると、下のような図になります。左側の優劣を明らかにするためには多数決が有効ですが、右側を考慮したいときには多数決では不十分ですね。


政治学から見たAKB総選挙-1-2農業従事者と消費者

 それではこの考え方からAKB総選挙を考えてみましょう

 前回の記事では少しセンセーショナルな書き方をしました。改めて確認すると、AKB総選挙は日本で実際になされている「選挙」とは異なる部分があるということでした。しかしそもそも選挙が現在の形になったのは、日本では第二次大戦後のことにすぎません。選挙の在り方も少しずつ変化してきて、現在の形になったと言えます。



 実際にかつては、お金をたくさん持っている人だけが選挙権をもっていた「制限選挙」が実施されていました。これは現在の「選挙」とは異なりますが、選挙の1つといえるでしょう。そのためAKB総選挙は、日本で実施されている「選挙」ではないけれども、選挙の1つの形態ということはできそうです。


 このように、AKB総選挙は日本で通常実施されている「選挙」とは異なっています。しかし意味がないものだったのかというと、もちろんそんなことはありません。それではAKB総選挙はどのように評価できるのでしょうか。少し脱線しますが、より大きな視点から考えてみましょう。大きな視点とは民主主義というものです。選挙は民主主義を達成するための一つの枠組みです。そのため民主主義から考えてみようと思います。



 一般に日本では、民主主義というと選挙を想起することが多いように思います。もちろん選挙は、民主主義の基本的な制度の1つです。しかし選挙=民主主義ではありません。そこで次回は、11票という平等選挙の観点から離れて、民主主義の観点からAKB総選挙を観察してみようと思います。