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政治学から見るAKB総選挙

政治学から見るとAKB選抜総選挙は興味深い要素が盛りだくさん。
それらの解説を通して、政治学も学んでもらおうというブログです。

 今回は「握手」について注目してみようと思います。握手をすることは学生の方はあまり経験がないかもしれません。しかし社会人になると、自己紹介や大きな仕事を終えた時など、ときどき握手することがあります。単に手を握ると思うなかれ。この握手はなかなか奥深いものなのです。



 私の経験から考えると、欧米出身の方に自己紹介するときには、必ず握手をする気がします。このとき力強く相手の手を握った方が良いと言われています。力強く握ることは、自分が「自信があって信頼されるに足る人物である」ことを示すためだそうです。逆に言うと、握る力がそんなに強くない場合には、「こいつは自信がないのだな」だとか「信頼できないやつだな」だとか思われるのかもしれません。

 

 日本では握手の仕方などはほとんど考慮されていませんが、相手がそのような認識を持っているとしたら、今後は皆さんも気を付けても良いでしょう。握手する機会がある場合には、相手が痛くなるまで握ってはいけませんが、力強く握ってみてください。


 前回は決定を「受け入れる」ということについて指摘しました。しかしこの「受け入れる」ということは実はそんなに簡単ではありません。



 例えば民族間対立が激しい地域を考えてみましょう。このような地域で選挙をしたらどうなるでしょうか。まず部族間の対立を解消してからでないと、選挙はできないのです。なぜならば選挙で負けた側がそのコミュニティを脱退するなどした場合、すぐに戦争になってしまうということになるからです。



 実際に、内戦が終わって復興過程に入りつつある時期に、選挙によって新しい政府樹立しようとすると、内部のコミュニティ間で対立が先鋭化してしまうことがあります。普通は選挙で勝った側に注目が集まりますが、それと同じように選挙で負けた側も重要なのです。それは負けた側がその結果を受け入れなかった場合、すぐに社会が崩壊してしまう恐れがあるからです。それなので、選挙をいつどのように実施するのかというのは非常に大きな問題となります。



 ここに選挙を支えている民主主義の前提があります。民主主義国家では、選挙の時には激しく票を競ったとしても、選挙後にはその選挙結果を受け入れることになっているのです。しかし先ほどの内戦の例でも明らかであるように、これは当然視すべきではありません。選挙ができるということは、結果を「受け入れる」土壌が形成されていることなのです。



 この視点に気が付くと、前田敦子の受賞後のスピーチは秀逸だったといえます。前田敦子は、「…私のことを嫌いな方もいると思います。……ひとつだけお願いがあります。私のことは嫌いでもAKB48のことは嫌いにならないで下さい。」と述べました。このコメントが意味するのは、前田敦子のファンではないAKB48ファンに対して、自分が1位になったという選挙結果が気に入らなかったとしても、AKB48コミュニティを脱退するのではなく、あくまでコミュニティ内に留まってほしいということです。



 日本で暮らしていると見逃してしまいがちな選挙の大前提である「受け入れる」局面を、前田敦子本人は冷静に理解し、それをファンにも理解してもらおうとしていました。この点からも、前田敦子は十分に1位になる素質があったといえるのではないでしょうか。



 9月のエントリー「AKB総選挙は選挙なの?」で取り上げた大島優子の受賞スピーチもそうですが、自分ではなくAKB48全体を見据えてセンスのあるコメントをするあたり、前田敦子と大島優子がセンター対決をしているは当然なのかもしれません。


 日本で暮らしていると全く気にならない民主主義の前提がいくつもあります。しかし内戦が生じていたり、社会内で対立が先鋭化したりしている国・地域では、それらの前提が非常に重要視されます。政治学の中には、比較政治学という分野があり、このような前提に焦点をあてて研究をしています。


 この民主主義の前提ですが、AKB総選挙を通じて再確認することができます。今回はここに注目しようと思います。ところで、民主主義というと何を思い浮かべるでしょうか。少し考えてみてください。




 民主主義というと、何かを民主的に決めるという「決定」に注目する傾向にあると思います。もちろん「決定」も非常に重要です。しかし民主主義というのは「決定」だけでなく、その決定を正しいものとして「受け入れる」という面も重要です。いかがでしょうか。



 実際の民主主義国家における選挙では、汚職や選挙違反などがない場合には、選挙後にその選挙結果を誰もが進んで受け入れるという条件が整っています。例えば自分は当選者の政策には反対で別の候補者に投票したとしても、その選挙結果を受け入れることになっているはずです。これまで選挙に行ったことのある人で、選挙結果に納得がいかないからといってクーデタを起こした人はおそらくいないでしょう。

 同じように、小中学校を思い出してください。学級委員選挙で、自分が推した友人が当選しなかったからといって、そのクラスから脱退した人はいないでしょう。

 ところで、結果を「受け入れる」のは当たり前で簡単なことなのでしょうか?次回はこの部分に焦点をあててみましょう。