前回は決定を「受け入れる」ということについて指摘しました。しかしこの「受け入れる」ということは実はそんなに簡単ではありません。
例えば民族間対立が激しい地域を考えてみましょう。このような地域で選挙をしたらどうなるでしょうか。まず部族間の対立を解消してからでないと、選挙はできないのです。なぜならば選挙で負けた側がそのコミュニティを脱退するなどした場合、すぐに戦争になってしまうということになるからです。
実際に、内戦が終わって復興過程に入りつつある時期に、選挙によって新しい政府樹立しようとすると、内部のコミュニティ間で対立が先鋭化してしまうことがあります。普通は選挙で勝った側に注目が集まりますが、それと同じように選挙で負けた側も重要なのです。それは負けた側がその結果を受け入れなかった場合、すぐに社会が崩壊してしまう恐れがあるからです。それなので、選挙をいつどのように実施するのかというのは非常に大きな問題となります。
ここに選挙を支えている民主主義の前提があります。民主主義国家では、選挙の時には激しく票を競ったとしても、選挙後にはその選挙結果を受け入れることになっているのです。しかし先ほどの内戦の例でも明らかであるように、これは当然視すべきではありません。選挙ができるということは、結果を「受け入れる」土壌が形成されていることなのです。
この視点に気が付くと、前田敦子の受賞後のスピーチは秀逸だったといえます。前田敦子は、「…私のことを嫌いな方もいると思います。……ひとつだけお願いがあります。私のことは嫌いでもAKB48のことは嫌いにならないで下さい。」と述べました。このコメントが意味するのは、前田敦子のファンではないAKB48ファンに対して、自分が1位になったという選挙結果が気に入らなかったとしても、AKB48コミュニティを脱退するのではなく、あくまでコミュニティ内に留まってほしいということです。
日本で暮らしていると見逃してしまいがちな選挙の大前提である「受け入れる」局面を、前田敦子本人は冷静に理解し、それをファンにも理解してもらおうとしていました。この点からも、前田敦子は十分に1位になる素質があったといえるのではないでしょうか。
9月のエントリー「AKB総選挙は選挙なの?」で取り上げた大島優子の受賞スピーチもそうですが、自分ではなくAKB48全体を見据えてセンスのあるコメントをするあたり、前田敦子と大島優子がセンター対決をしているは当然なのかもしれません。