AKO STORIES

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2021スロー更新♡よかったら遊びにいらしてくださいね。

おはようございます。

先日オペラ「魔笛」を見てきました。

結論から言って素晴らしかった。

 

歌い手の方はもちろんのこと、

舞台装置はスクーリーンに映し出され、観るものを非現実的な世界へ誘う。

日本語も字幕で表示され、歌の内容を視覚でも確認し楽しむことができました。

 

有名な旋律だけれど、実はその意味を今回初めて意識して聞きました。

夜の女王が娘パミーナを激しく罵る場面、それなのに、アリアは長調で晴れやかにどこか高らかに響いてくる。

このギャップに強く惹かれ「なぜこんなにも美しく明るく響くのだろう?」

「なぜ長調なのだろう??」

と不思議な疑問????を抱きました。

 

YouTubeなどでオペラ解説されている方の中には

「夜の女王の怒りがヒステリックの頂点に達したことで、むしろ明るい長調で表現されている。」

と言った分析もありました。

しかし私にはヒステリックというような日常の延長戦上にあるような感情よりも

もっと別のもの。もっと根源的なものに理由があるように感じました。

 

 

もしかしたら母としての愛の裏返しや執念だけでなく、

ヨーロッパ文化特有の「悪にこそ花を与える。」精神が表れているのかもしれません。

 

あえて悪のキャラクターに圧倒的な技術や華やかさ、美しさを与えることで

観る者の心を強く揺さぶる、

そんな演出の伝統が「魔笛」にも表現されているように感じました。

 

現代のキャラクターでわかりやすく置き換えるなら

例えばディズニー映画の「眠れる森の美女」マリフィセントや人魚姫「アリエル」に登場するアスラーと言った存在。

彼女たちも悪役でありながら、どこか惹きつけられる魅力やカリスマ性を持っています。

 

ただいわゆる悪役の歌は、不協和音や短調でおどろおどろしく演出されていることが多い。

それに対して「夜の女王のアリア」は澄み切った高音の長調でありながら

冷酷な母の怒りが見事に表現されている。

このギャップが尚更印象を深くしているのかもしれないと思いました。

 

 

 

 

そしてやはりモーツアルトってすごい。

 

美しさと恐ろしさ、愛と憎しみ、正義と狂気。

そういった感情のグラデーションをオペラにこれほどまでに詰め込めるなんて。

 

だからこそ200年以上経った今も

こうして人の心を揺さぶり続けているのだと感じました。

お久しぶりの投稿になりましたが、これからも感動を言葉で表現して行きたいと思います。

 

 

 

 

芸術で繋がるご縁に感謝して。

 

阿川 千晶

 

 

#オペラ魔笛

#夜の女王のアリア

#個人的な感想

ご無沙汰しております。
この美術ブログも長らく更新が止まっておりましたが、

それでも毎月7〜8,000人もの方々が訪れてくださっていることに、心より感謝申し上げます。

最愛の父を見送り、3年8ヶ月ぶりの美術展記事となります。

 

 

 

お久しぶりの投稿は、今回訪れた
東京国立博物館 平成館での展示会『蔦屋重三郎展』の感動からお届けします。

 

SNSやネットで何度も見かけてきた浮世絵の名作たち——


写楽、北川歌麿《ほっぴんを吹く娘》、江戸の風俗を描いた版本の数々。
スマホやパソコンでは何度も目にしてきたはずの絵が、
実物を前にすると、まったく違った表情を見せてきました。

 

とりわけ感動したのは、絵の「サイズ感」や「色の深み」
画面越しでは全てが鮮明に見えすぎていて、かえって見失っていたものに気付かされます。

現代のディスプレイモニターではどんな作品も均一に光り、精密に映し出されます。

 

でも実際には目の前にした浮世絵や版画本には、時を経た紙のくすみや色彩の温度がありました。

 


1ページのサイズ感。

夢中になって読まれたのはこの本だったのだなぁ。

とガラスケース越しにみながらも実物の持つ“空気”や“サイズ感”が伝わってきて

こちらの呼吸を整えさせるよう。

 

会場には、映画のセットを活かして再現された江戸の町並みもありました。


版本屋に見立てた空間では、
江戸の人々がどんなふうに絵本を楽しみ、手にしていたのかをまるでタイムトリップしたように追体験できます。

 

そして何より強く印象に残ったのは、今回の主役である・蔦屋重三郎の存在です。

 

 

彼はまさに、江戸時代の“プロデューサー”。

写楽、北斎、歌麿など、いまや世界的に知られる絵師たちを世に出し、
庶民の「面白い!」にとことん寄り添いながら、文化をつくった人。

 

 

とりわけ胸に刺さったのは、
彼らが「面白さ」や「美しさ」を、誰よりも追求していたことでした。

蔦屋重三郎をはじめとする江戸の文化人たちは、
単なる趣味や気まぐれではなく、
“どうすれば人の心に届くか”を徹底して考え抜いていた。

娯楽や出版という形をとっていながらも、そこには信念にも似た美意識がありました。

 

 

こうした蔦重の新しい物を生み出そうという熱意が
現代の日本の漫画・アニメ文化の源流として脈々と受け継がれているのだと感じ改めに興味深い時間に。

時代を越えてもなお、私たちの心をふるわせるコンテンツの力。
それは単なる懐古趣味ではなく、今を生きるヒントとして、確かに胸に届きます。

 


“現代の目”で感じた美術展の面白さを、また少しずつ綴っていけたらと思っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

展示の詳細はこちらから:
👉 ツタジュウ 2025 公式サイト

 

 

アートで繋がるご縁に感謝して〜

 

阿川 千晶

 

【特別内覧会】三菱一号館「印象派 光の系譜」へ ①の続きです。

 

今回はイスラエル博物館から印象派の名品選コレクション

全69作品のうち59点が初めての来日です。

 

 

イスラエル博物館:1965年に開館、初期のキリスト文書〜近代美術のコレクション迄

50万点にものぼる膨大なコレクションを所蔵。イサムノグチの庭園があることでも有名。

コレクターの善意によって寄贈された作品が多く、バラバラ感があるとの事ですが

それが却ってお宝発見のような楽しみがあります。

 

作品の写真は許可を得て撮影しております。

 

クロード・モネ《睡蓮の池》1907 初来日

 

 

入り口からコローやセザンヌ、ブータンの水の風景を

かろやかな視線で眺めた後に・・巨匠モネが登場します。

リアルで見ると光の色が思っていたよりほわっと明るいです。

仄かに青味がかっているグレイの光に感じます。

 

 

同じ年に描かれたモネの睡蓮が別室(特別展示室)に展示されています。

DIC川村美術館所蔵、和泉市久保記念美術館所蔵等を

比べるように見ることができて、それもまた味わい深い。

 

 

その横には・・同じ水辺の光でも光の色が全く違う、、

初めて伺う画家さん

 

レッサー・ユリィ《風景》1900頃 ニックネームはユリちゃん

一目で気に入りました!

 

ギャラリートークの際に安井学芸員さんとTakさんがお話されていました。

モネの絵筆のストロークとは対照的な、パレットナイフ使い。

クールベの作品《海景色》ではドラマチックに生かされています。

 

 

モネとユリちゃんの作品の並びは偶然だとの事ですが

光の表現が対照的で、比べると面白いです。

 

 

 

 

 

カミーユ・ピサロ 《エラニーの日没》1890

 

 

 

フィンセント・ファンゴッホ《麦畑とポピー》1888

 

 

フィンセント・ファンゴッホ《プロヴァンスの収穫期》1888 初来日

いいな〜初めて出会うゴッホ作品

黄金期の作品を見ていると心が沸き立ちます。

 

 

 

ポール・セザンヌ《川のそばのカントリーハウス》1890

 

レッサー・ユリィ《夜のポツダム広場》1920

 

画像で見ると、クラシックな印象かもしれませんが

リアルで見るともっと新しい感覚の光〜に感じます。

 

光を追うことって、、インスタ映えの大先輩ですね。

 

 

レッサー・ユリィ《冬のベルリン》1920

 

 

レッサー・ユリィ《赤い絨毯》1889

こちらに背を向けて椅子に座った女性が、窓から差し込む太陽の光を利用して縫い物をしている。

 

 

 

 

安井学芸員さんとカリスマ美術ブロガー「青い日記帳」Takさん

トークも楽しませていただきました。

ご招待頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

イスラエル博物館所蔵 

印象派、モネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーガン「光の系譜」

書いていたらまた行きたくなってきました〜

 

期間:2021.10月15日〜2022.1月6日

場所:三菱一号館美術館

休館日:月曜日と年末年始

 

芸術の秋、オススメの展示会です。

 

 

 

つながるご縁に感謝して〜
 
 
 
阿川 千晶