統合失調症になったのは高1の時でした。
私の記憶はここから曖昧な部分が多いです。
閉鎖病棟への入退院の繰り返しで、高校を3校変えたことは覚えています。
最初は進学校。次は全寮制。最後は通信でした。
卒業式のことも覚えていないし、何で卒業できたのかも不思議です。
勉強なんてしませんでした。入院して主治医から止められて、できませんでした。でも、通信のレポートは、退院した高3の秋から、学校の先生がマンツーマンで教えてくれたそうです。
高校は、3分の2くらいの期間、何かしらの原因で入院していました。
拘束されたこともあります。
外に出るのが怖くて、病室に閉じこもり、このまま何処にも行けないんだと言って、半年間外に出なかったこともあります。
主治医もあの時はどうしたらいいか、僕でも判らなかったと言っていました。
クリスマスやお正月を病院で迎えたこともあります。
あの頃は、本当に病院が居場所でした。病院の外は怖いところだと、本気で信じていました。
退院して家に戻ると、リストカットか自殺未遂で搬送されました。心肺停止になったこともあります。
そして、また閉鎖病棟に戻るのです。
そんな私でも、進学だけは諦めたくありませんでした。
まがいなりにも進学校にいた身です。プライドが許しませんでした。
だから、外の世界に戻り、作文を書いて自己推薦で短大に入りました。
短大時代には、ひたすら勉強をしました。私は大学に行きたかったのです。
でも、普通に入ろうとしても、私は高校の勉強が解りません。指定校推薦で3年次編入をしようと、短大の内申を上げることのみを考えました。
そして、短大から、大学に編入しました。
でも、大学には少ししか行けせんでした。
スクールカウンセラーに、子供を殺したくなると相談して、すぐに大学の近くの精神科を勧められました。精神科でも、地元の精神科に入院しないと、自傷他害の恐れがあると言われました。地元の精神科で話しをすると、即入院を勧められました。
大学は、結局3ヶ月で辞めました。
入院中は、叫んだり暴れたりは当たり前でした。腕をベッド柵に打ち付けて、真っ青にしました。ベッド柵は取り上げられました。
それでもやり場のない衝動で、腕をぶん殴っていました。
薬はどんどん強くなります。過鎮静の状態にするしかなかったそうです。
それでも、3ヶ月以上は急性期病棟にいられないので、作業所に通うことを決めて、退院しました。
作業所の仕事は簡単過ぎて、正直虚しかったです。
その後就労をしましたが、人間関係でダウン。
ストレスケア病棟に入院しました。
退院後、違う企業に入っても、だんだん精神的におかしくなりまたストレスケア病棟に入院。
仕事はみんな長続きしませんでした。
退院してニートになってからも、セネストパチーで毎日注射に通ったりしていて、それを見かねた先生の勧めでまたストレスケア病棟に入院しました。
1番最近の入院は去年です。
でも、入院仲間が私の悪口を言っているのが聞こえたり、看護助手がその子と一緒に悪口を言っているのを聞きました。
看護師に言っても幻聴だと言われました。
でも、本当に言っていたと確信があります。誰も信じてはくれなかったけれど。
結局主治医に性格異常とまで言われ、今度入院するならまた急性期病棟にする、と告げられました。叫んだり暴れたり、ストレスケアの患者に悪影響だと。
病院に居場所がなくなり、退院しました。
こんな荒廃していた私ですが、今は嘘のように元気です。
新薬がとても効いています。
主治医が私の為に取り寄せているのです。
これを書きながら、少し前までの自分って、相当やばかったんだなと、改めて思います。
でも、記憶がおかしくなって、本当に辛かった時代が思い出せないから、今暮らしていけるのだと思います。
記憶が全部戻ってきたら、私は多分、生きていけません。記憶が消えたのは、自己防衛なのだと思います。
こんなやつでも、ちゃんと生きています。
死ななくてよかったと思います。
人生捨てたもんじゃないですよ。