いままでの総集編と違って、編集し直し版という感じの「光る君へ」でした。
まひろの語りで回想するような感じで物語が進みます。
一言でいうと、史実部分はカットして、大石さんのオリジナル脚本部分だけでまとめて作った総集編ですね。
ただ物語の進み方が本編と同じでおかしかった。
4巻まではほぼ本編の7話平均くらいのペースで進み、4巻の終わりは本編の第30話。
最後の5巻は本編の18話を一気にぶっ飛ばす感じで進みました。
道長の最後もありません。
脚本の大石さんが最初から決めていたという最後のせりふ「嵐がくるわ」のシーンもありません。
そのくせ全く関係のない双寿丸(伊藤健太郎)はたびたび登場。聞いてはいましたが、本当にこのNHKの女性プロデューサは伊藤健太郎が好きなんですね。
周明(松下洸平)は全く出てきませんでした。
全体を見てやはり矛盾点が多すぎるのが気になりました。
このドラマをダメにしたエピソードを上げるとするば、大きく2点です。
①道兼がまひろの母親を殺したこと。
これにより話が全体的に歪んでしまいました。史実では紫式部の娘の賢子は道兼の次男・兼隆の妾になり一女をもうけます。
そんなことありますか?設定がおかしい。
②紫式部の娘の賢子(大弐三位)が道長の子としたこと。
史実では道長の次男の頼宗の愛人でした。兄妹でそこまではしないでしょ。
これ以外にもたくさんありますが、それを言ってもと言う感じですかね。
多くの人が言うことに、道長を美化しすぎているというのがありますが、これは脚本の大石さんが最初からその方針だと言っていたので、それはいたしかたないでしょう。
参考までに、今日のPRESIDENT Onlineの記事に、
『これがなければ「光る君へ」は傑作になっていた…歴史評論家がどうしても看過できなかった7つの残念シーン』という記事がアップされています。
香原 斗志(かはら・とし)さんが書かれています。
その7つの残念シーンとは、
⑦第46回「刀伊の入寇」や第47回「哀しくとも」で見られた偶然の連鎖
(周明(松下洸平)や双寿丸(伊藤健太)との再会)
⑥センチメンタルすぎる紫式部
⑤貴族の女性が顔を見せすぎたこと
④紫式部は道長の子を産んだという設定
③道長が出家したのはまひろが宮廷を去ったのが原因
②道長の死を看取ったのがまひろだという設定
①武士の世を予感させるのは早すぎる
(「嵐が来るわ」の最後の言葉)
この筆者歴史をわかっているのかなという印象です。
1位の武士の世を予感させるのは早すぎるはいかがなものでしょうか?
双寿丸が向かう東国の乱は「平忠常の乱」で、房総三カ国(上総国、下総国、安房国)で長元元年(1028年)6月に起きた反乱。鎮圧するのに3年かかった。鎮圧したのは源頼信で、これにより東国において河内源氏が勢力を広げて、頼朝の鎌倉時代になっていく契機になっている。
「光る君へ」は面白かったが、最後に行くほどダメなドラマになっていったことが残念です。
脚本に3年がかりということですが、最後は時間に追われいい加減な脚本になっていったことがありありとわかります。

