(ネタバレあり)
ドラマは1018年(寛仁2年)から1019年(寛仁3年)の出来事になります。

四納言が集まって、道長の詠んだ歌について話し合っています。
公任は「道長はおごった歌を人前でうたうようなやつではない。今夜は本当にいい夜だなあ、くらいの意味だ。」と言います。
(完全に京都先端科学大学の山本淳子教授の新説に対する配慮ですね?、唯一の記録の「小右記」では実資は「誇っている歌である」と記している。詳細は前回のブログを参照ください。)


寛仁2年(1018年)12月
敦康親王(片岡千之助)が突然亡くなります。
(親王妃(稲川美紅)は出家し、残された一女嫄子女王は頼通夫婦に引き取られ、のちに後朱雀天皇に入内する。)


まひろは源氏物語全54帖を書き上げました。
(このドラマにおいては寛弘元年(1004年)に書き始め、寛仁2年(1018年)に書き終えたということですから、のべ15年かかって書き上げたということになります。いつ頃に書き上げたのか記録がありませんが、唯一『紫式部日記』に、寛弘5年(1008年)に源氏物語の冊子作りが行われたとの記述があります。ドラマでは37回放送で33帖「藤裏葉」までの豪華本を制作したことになっています。『紫式部日記』には冊子作りが行われたことの記述はありますが、何帖なのかは不明です。)


寛仁3年(1019年)正月
左大臣と右大臣の嫌がらせがはじまります。
頼通は、左大臣顕光(宮川一朗太)と右大臣公季(米村拓彰)が斜位の儀に出席しないことを道長に告げると、お前がやればいいと軽く言われてしまいます。


賢子(南沙良)は宮仕えを決意します。
まひろは彰子にお願いして働けるようにしてもらい、自分は旅に出ようと考えます。
賢子は彰子の女房として働くことになります。
道長夫婦にもあいさつに行き、道長の物語を書くことは断ります。


まひろは源氏の物語とその続きを賢子に預けます。


道長は、まひろに行かないでくれと頼みます。
まひろは、「賢子はあなたの子です。賢子をよろしくお願いします。これで終わりでございます。」と伝えます。

まひろは西に向かって旅にでます。


倫子は、赤染衛門(凰稀かなめ)に道長の物語を書くことを依頼します。
(栄花物語です。作者は不明ですが、赤染衛門という説が有力です。全40巻で正編30巻と続編10巻で構成されている。作者については正編30巻を赤染衛門、続編10巻のうち7帖を出羽弁、残り3帖を複数の女性が書いたとみる説が有力。)


賢子は「越後弁」という名が与えられました。
そんな賢子を道長はひそかに見守ります。

道長は、倫子(黒木華)に出家することを伝えます。
倫子から、「藤式部がいなくなったからですか」と言われてしまいます。


3月
道長は出家します。
(この頃には糖尿病がかなり悪化しており、目もよく見えなくなっていたようである。
ドラマでは実際に柄本佑さんは自毛を剃りました。すごい役者魂!です。)

道長は出家してさらに怖い人間になっていきます。


まひろは大宰府に到着しました。
大宰府には宋の商人がたくさん集まっていました。
そこで周明(松下洸平)に再会します。
(第24話(6月16日)以来21話ぶり、5カ月ぶり再登場です。ドラマの年代は第24話が長徳3年(997年)、第45話が寛仁3年(1019年)。まひろと周明の再会は22年ぶりとなりますが、お互いすぐわかるものですかね?)



【源氏物語】
まひろは源氏物語全54帖を書き上げました。
ドラマでは、源氏の物語とその続きを賢子に託しました。
源氏物語は一般的に3部構成になっていると言われます。

1部 1帖「桐壺」から33帖「藤裏葉」
2部 34帖「若菜」から41帖「雲隠」または「幻」(「雲隠」は本文無し)
ここまでは光源氏が主人公
以下は光源氏の子供薫が主人公
3部 42帖「匂兵部卿」から54帖「夢浮橋」

ドラマにおいても3山に分けられて置かれていました。
しかし分量が実際の3部とかなり違和感がありました。
原文の量はわかりませんが、新編日本古典文学全集によるページ数によると、
1部:1203ページ
2部: 516ぺージ
3部: 831ページ
となります。
ドラマではどのように置かれていたのでしょうか?まだ検証ができておりません。
ご存じの方がおられましたら教えてください。
 

 

「光る君へ」の時代を考察する(第四十四回「望月の夜」)