(ネタバレあり)
ドラマは西暦1007年です。

道長は頼通(渡邊圭祐)と源俊賢(本田大輔)を伴い御嶽詣に出かけます。

伊周(三浦翔平)がなにやら武者を引き連れて不穏な動きをみせる。

(『小右記』によると、伊周・隆家兄弟が御嶽詣に出発した道長の暗殺を計画していたという噂が流れていたと書かれています。史実ではうわさレベルだったようである。)


道長たちは、悪天候に邪魔され思うように進めない。

(道長たちが着ている青い服は当時の雨合羽のようなもの、詣での際は浄衣(じょうえ)という白い服を着ている。寺に宿泊している時などはその服を着ていた)

(NHKでリポビタンDのパロディーが展開されていました。ファイト一発!!)


藤壺ではまひろと一条天皇(塩野瑛久)が物語の話をしています。
「源氏物語」四帖:夕顔(ゆうがお)について語り合っています。

一条天皇は命がけの御嶽詣までする道長の気持ちについて聞きます。
「これは親心だ」というまひろ。


9日目。道長たちはついに金峯山に到着します。
様々な仏事を終え、書き写した経典を経塚に埋めました。

(この時の道長の経筒が金峯山で出土していて、今も残っています。)


伊周と武者たちは、道長一行を待ち伏せしています。
武者が弓を構え、矢を放とうとした瞬間、馬に乗った男が道長の前に姿を現します。
弟の隆家が邪魔をします。


都に戻った道長は、金峯山の護符を彰子(見上愛)に届けました。
まひろから彰子と帝の様子を聞いた道長は、
新たに書き上がった第五帖「若紫」を読み始めます。
逃げた小鳥を追った出会いの場面に、自分とまひろの出来事を思い出す道長。
不義密通の末に身ごもった藤壺の帖を読むと、どのような心づもりで書いたのかと問います。
「わが身にも起きたことにございます」と答えるまひろ
心穏やかでない道長。


あかね(和泉式部:泉里香)のもとをまひろが訪ねました。
あかねがとっさに読んだ歌の素晴らしさにまひろは改めてすごい才能だと感じ入ります。まひろは日記を書くことを進めます。

(和泉式部が記したと伝わる日記の「和泉式部日記」は1003年(長保5年)4月から翌年1月までの記録で、敦道親王との恋愛模様が主に記されています。ちょっと時代が合いません。)


まひろの弟の惟規(高杉真宙)の恋人の斎院の中将(小坂菜緒)は和泉式部の姪にあたる。


彰子と女房たち皆でまひろが書いた「光る君」の物語を読んでいます。
彰子は光る君が引き取った若紫はまるで自分のようだと意外な反応を見せます。
まひろは彰子に「お心のうちを帝にお伝えなされませ」と助言します。

そこに帝が現れます。

「お上!お慕い申し上げております!」
と彰子は涙ながらに叫びます。

その場は帝はそのまま去っていきますが、
帝のお渡りの連絡がきます。

その夜、一条天皇と彰子は初めて結ばれるのでした。
(翌年には敦成親王(後の後一条天皇)が生まれます。生まれたのは、寛弘5年9月11日(1008年10月12日)なので、仕込んだのは寛弘4年11月25日(1008年1月6日)頃となります)


【御嶽詣(金峯山詣)】
ドラマでは、第13回にまひろの夫の藤原宣孝がド派手な格好で御嶽詣でをしたエピソードがありました。正暦元年(990年)3月のこと。この話は、清少納言の『枕草子』に書かれています。『枕草子』を参考にしたとのことです。

今回は道長が御嶽詣をします。寛弘4年(1007年)8月のことです。

『御堂関白記』によると、

3か月前の閏5月から精進潔斎を始めたとあります。
酒食を断ち、魚食も断ち、1日1食の精進を続け、夜は五体投地の祈りを行った。
源高政の家に籠り、家族を遠ざけて精進に専念した。

寛弘4年(1007年)
8月2日 都を出発    

8月3日 奈良に到着 大安寺に宿す

8月4日  井外堂に宿す

8月5日  軽寺に宿す

8月6日  壺坂寺に宿す

8月7日  観覚寺,現光寺を経て野極に宿す

8月8日  終日、雨で留まる

8月9日 寺祇園に宿す

8月10日 御在所の僧房金照の房に着す

8月11日 大峯山寺への参拝、法要
     寺に宿す

8月12日  下山、宝塔を経由し、馬に乗り水辺に着く。
     夜に入りて、宿す。

8月13日 舟で大和川を下る。泉河の岸上の仮屋に着す

8月14日 都に帰着

文化庁の国指定文化財データベース「大峯山寺(史跡名勝天然記念物)」の解説文よると、
大峰山寺は、奈良県南部の大峰山脈北部の主峰である標高1,719mの山上ケ岳の山頂に所在する山岳寺院である。山上ケ岳山頂は、高さ100mに及ぶ急な崖になっている。

今は全てに安全なう回路が設けられているようです。ただし、今も女人禁制となっている。