ようやく984年から985年になりました。
この年は改元しているのですが、まだ永観3年ですかね。ドラマの終わりには寛和元年になっていました。
今回(六回)のメインは清少納言との顔合わせでしょうか。
紫式部は数え16歳、清少納言は数えで20歳くらいの設定です。
しかし実際には顔合わせはなかったといわれています
清少納言は今回のドラマの年(985年)の4年前に結婚しており(数えで16歳くらい)
、翌年長男も生まれています。
道長が白楽天の歌に込め、まひろに思いを告げるあたりは脚本がうまいですね。
藤原公任(町田啓太)の歌は実際に公任の自作のようです。
後日道長は「伊勢物語」の名歌を引用した和歌をまひろに送ります。
ドラマの中でも藤原道綱の母が執筆した「蜻蛉日記」の話が出てきましたが、紫式部や清少納言など当時の女性作家に与えた影響は大きかったようです。
今回のドラマで唯一史実的なことは、花山天皇の夫人の藤原忯子(よしこ)が身ごもったまま亡くなったことだけです。寛和元年7月18日(ユリウス暦985年8月7日)のことでまだ数えで17歳です。
この時花山天皇も数えで18歳でした。
元号も永観から寛和になっています。
この1年後には教科書にでてくる寛和の変が起きます。
それまではまだドラマは数回あるようです。
年表(史実)
962年 藤原詮子(道長の姉:吉田洋)生まれる
966年 藤原道長生まれる,清少納言もこの頃に生まれる
969年 円融天皇即位
970年頃 紫式部(まひろ)生まれる 記録では姉がいる
(ドラマの設定は970年生まれだが、史実は不明)
974年 惟規(まひろ弟)生まれる
978年 詮子(あきこ)入内
979年 藤原兼家右大臣になる
980年 後の一条天皇生まれる
984年 円融天皇退位、花山天皇即位
藤原為時(まひろ父)式部丞・六位蔵人に任じられる
紫式部の名前はこの時の官職名に由来している
985年 忯子亡くなる。享年17
986年 花山天皇退位(寛和の変)、一条天皇即位(母詮子)
ドラマ年表
977年 「光る君へ」のドラマの初回
984年 ドラマ第2回、第3回、第4回、第5回
985年 ドラマ第6回
忯子亡くなる。
「どうする家康」では史実と違いすぎるとの声が多数上がりましたが、今回はそのような声はほとんど上がりません。
なぜですかね?史実がはっきりしていないからでしょうか?
でもまひろのお母さんが道兼に殺されるとか、円融天皇に毒を盛るとかはフィクションで将来にも影響を及ぼしそうですが、あまり問題になっていません。
数十年後それが一般常識になっていたらどうするのですかね?

