ルカの福音書9:7~9 | 聖書が読みたくなる学び

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*7~8節を読みましょう。

 当時のイスラエルは四分割され、各地区を「国主」と呼ばれるヘロデ大王の子らが治めていました。「ヘロデ」はガリラヤとペレヤの地域を治める「国主」でした。

 この「国主ヘロデ」「バプテスマのヨハネ」との関係は、マタイ14:1~12、マルコ6:14~29などに詳しく記されていますので、そこから少し抜粋してみましょう。

① ヨハネはヘロデの不倫問題を断罪していた

「あなたが兄弟の妻を自分のものとしていることは不法です」(マルコ6:18)

 国主ヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻であったヘロデヤと不倫関係にあり、略奪結婚までしたのです。そのような不道徳な行動は公然の事実でしたが、国主であるヘロデに罪を指摘することができる人はいませんでした。そんな中、ただ一人ヨハネは「不倫は罪である」と指摘し、悔い改めなければならないとヘロデに迫っていたのです。

② ヘロデの妻ヘロデヤはヨハネを憎んでいた

「ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺したいと思いながら、果たせないでいた」(マルコ6:19)

 罪を指摘されたヘロデは、悔い改めるどころか、ヨハネを捕らえて投獄してしまします。それは、妻ヘロデヤがヨハネを非常に憎み、恨んでいたからです。

③ ヘロデはヨハネを正しい人と認めていた

「それはヘロデが、ヨハネを正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていたからである。また、ヘロデはヨハネの教えを聞くとき、非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた」(マルコ6:20)

 実は、ヘロデ自身はヨハネのことをそこまで憎んではいませんでした。むしろ、ヘロデヤがヨハネに殺意を抱きながらも、それを実行することができなかったのは、ヘロデがヨハネを守っていたからなのです。なぜなら、ヘロデはヨハネのことを「正しい聖なる人」だと認識しており、ヨハネの語る聖書の教えを興味深く聞いていたほどでした。

④ ヘロデの軽率な行動でヨハネは処刑された

 投獄されていたとはいえ、ヘロデによって保護されていたヨハネが処刑される時が来ました。それは、ヘロデの誕生パーティーでの些細な出来事がきっかけとなりました。

 このパーティの場で、ヘロデを祝うためにヘロデヤの連れ子であるサロメが舞を披露しました。それを見て上機嫌になったヘロデは、軽率なことばを発します。

「そこで王は、この少女に『何でもほしい物を言いなさい。与えよう・・・おまえの望む物なら、私の国の半分でも、与えよう』と言って、誓った」(マルコ6:22~23)

 この一言に、サロメはすかさず母ヘロデヤと相談したところ、ヘロデヤが求めたものは「バプテスマのヨハネの首」(マルコ6:24)でした。母の願いとはいえ、サロメも何のためらいもなくストレートにヘロデに願い出ているところが恐ろしいです。

 ヘロデは、皆の面前で誓ってしまったこともあり、ヨハネを処刑することを実行せざるを得なくなり、ヨハネの処刑は直ちに執行されたのです。

*9節を読みましょう。

 ヘロデは、このような結末に至ったことを、どこかで後悔していたのかもしれません。イエスさまの行われた奇跡のうわさが広まると、人々は「ヨハネが生き返って奇蹟を行っているのだ」と言い出す人も出て来たので、ヘロデは動揺し、自分の目で確かめたくなり、イエスさまに会いたいと思ったのです。

 ヘロデの動揺は、罪の呵責からでてきたものでしょう。このような思いは、神さまがすべてのひとに与えられた “良心” の働きによるものです。しかし、この咎める思いとどう向き合うか、どう処理するかで、その後の結末は大きく変わります。ヘロデは、イエスさまに会いたいと願いながらも、それを実行することはしませんでした。結局、これ以上自分の罪をえぐられたくなかったので、自分を守る方に動いたのです。もしここで、ヘロデは罪を悔い改めるために、イエスさまに出会っていたなら、彼の後の人生は違っていたのに…と思わされます。

 

*お祈りしましょう。