Ⅰ歴代誌25章 | 聖書が読みたくなる学び

聖書が読みたくなる学び

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 レビ人による讃美隊の組織についての記述です。

*1~3節を読みましょう。

 讃美の奉仕に関する組織を編成し、担当を決める会議に「将軍たち」も参加していることに違和感を感じましたか? 讃美というと、どうしても音楽的な要素を思い浮かべてしまうかもしれませんが、イスラエルにとって讃美とは、音楽ではなく ″主を称える手段″ であり、″主に目を向ける手段″ であるので、戦いの場でも最前線で讃美がささげられたことや、讃美だけで困難を乗り越えたことなどが、聖書にはいくつも記されています。

 礼拝讃美を重んじるダビデの時代には、戦場に讃美は欠かせないものでしたので、ここでも讃美を戦略の一部として、将軍たちも会議に加わって決定がなされているのです。

 聖歌隊の指導的立場におかれたのは、「アサフとヘマンとエドトン」という、レビ族の主要子族であるゲルション族、ケハテ族、メラリ族から一人ずつ選ばれた人たちです。「立琴、十弦の琴、シンバル」などの楽器を奏することができるだけでなく、ここで新しい情報として「預言する」働きも担っていたことも記されています。その実例が第二歴代誌20:14~22に記されています。ここは、ヨシャパテ王の時代に、アモンとの戦いの場面で預言者でも祭司でもない聖歌隊の一員であったヤハジエルを通して神さまが約束と励ましを与えられた場面です。告げられたみことばに奮起したユダの民は、その場で礼拝し、讃美をささげ、戦いに勝利したのです。このような戦いのスタイルがイスラエルにとっての本来のスタイルでした。

 さて、「預言」というと、未来のことを告げるばかりではありません。預言とは、本来 “みことばを宣言する、語る” という意味ですので、聖書から引用してみことばを語ることも預言の一つです。しかし、語るためには、みことばに親しみ、熟知していなければなりません。そのために、レビの聖歌隊は10年の訓練期間を設けたのです。

 *4節を読みましょう。

 ここには、讃美リーダーの一人「ヘマンの子たち」の名前が記されていますが、この子たちの名前をつなげると一つの詩のように読めるそうです。「私を憐れみたまえ、憐れみたまえ。あなたは私の褒め称える神、悩みの時の私の助け手です。私は告白します、私をあなたのあわれみで豊かにしてください。」となります。ヘマンは讃美リーダーの自覚を持ち、子供たちにも主に頼り、主を称えることの大切さを教えて育てたのかな~と想像します。

*5節を読みましょう。

 ヘマンについて、「角笛を高く上げる王の先見者」という説明が加えられています。「角笛」と「賛美」は密接に関係しています。有名なのが、ヨシュア記6章に記されているエリコの町を陥落させる場面で、イスラエルの民は武器によらず、角笛と賛美だけで城壁を崩すという奇跡を体験しました。そのように、戦いは神さまの合図によって神さまを称える賛美によって勝利を得るものであることを示しています。

*7~8節を読みましょう。

 ここでは、聖歌隊の人数が288人であると記されています。以前見た個所では4000人いたはずなのに、だいぶ減ったのか…というと、そうではなく、「主にささげる歌の訓練を受けた…達人」が288人ということです。そして、この人たちを中心に組織が編成されました。

 ここで「主にささげる歌の訓練」とありますが、音楽的な訓練はもちろん必要ですが、それがメインではないことが「達人」という語に表れています。「達人」とは、“霊的な事柄によく通じていて、教えることができる人” という意味なので、音楽的な訓練よりも、霊的な訓練=みことばを学び、たくわえることが訓練の本筋であったことがわかります。

 しかし、達人級にならなければ奉仕に当たれないのか…というと、そうではありません。「下の者も上の者も、達人も弟子も、みな同じように」とあるので、達人級の288人を均等に12人ずつ配置して24組作りました(9~31節)が、一組当たり12人だけが歌い、演奏し、みことばを語ったのではなく、訓練期間中の者も同じく奉仕に携わったのです。なぜなら、神への奉仕は技術や能力によらず、“召し” によってなされるものだからです。中には音楽技術的に未熟な者もいたことでしょう。しかし、その人が本当に「ささげたい」という心があるなら、奉仕に携わってよいのです。

 そして、祭司の組み分けと同様、ここでも「くじ」によって決められました。それは、「この人と一緒がいい」「あの人と一緒にやりたくない」など、人間的な感情が入らないようにするためです。

*9節を読みましょう。

 ここから組み分けの詳細が記されています。第1組から始まり、第24組まであります。この組数は祭司の組数と同じです。24章の中で、当時使っていた太陰暦(一年48週)に合わせて、年に二回ずつ担当するように約数となる24で組み分けしたことをお話しましたが、もう一つ根拠となるのが、黙示録5章に出てくる天での礼拝の描写の中で、24人の長老が立琴を奏でて賛美をささげている様子が出てきますので、天での礼拝の様子を表すものとして24に組み分けしたのかもしれません。しかし、ダビデは24人の長老の存在を知らないはずなので、神さまから示された数字だったのかも…定かではないですが。

 さいごに、現代の賛美に適用してまとめたいと思います。

① 戦場の最前線でささげられた賛美

 賛美とは、目に見えない主を見上げる助けをし、主の力を確信して頼るための手段でもあります。

 イスラエルの民は、ダビデの時代に礼拝讃美が形作られるまで、あまり讃美をしてこなかったのです(意外ですが…)。歴史をさかのぼると、民が一つとなってささげた讃美は紅海を渡った時くらいです。つまり、イスラエルの民の賛美は、感情に連動していたことがわかります。嬉しいときには鼻歌を歌い、辛いときには歌えないとふさぎ込む…それは神を知らない人たちと同じ思考です。讃美はそうであってはならないのです。

② レビの聖歌隊は音楽技術を磨くことよりも、みことばの訓練に時間をかけた。

 賛美と共に、みことばで民を励まし、主を信じることを勧めたのが聖歌隊の役目でした。そういう意味では、音楽的能力に乏しくても引け目を感じる必要はなく、逆にどんなに上手でも、みことばを疎かにするのであれば、それは讃美ではなくただの音楽になってしまうのです。

 讃美は、神さまにささげられるものであると同時に、聞く人にも影響を与えるものだからこそ、みことば的要素がなくてはならないのです。例えば、かっこいい、語呂がいいという理由だけで外国語で讃美することは、聞いている人が意味を理解できないのであれば避けるべきです。賛美ではないですが、コリントの手紙には異言(外国語のこと)で祈ることを禁じていますが、その理由は、新再来者にとって奇妙な光景だからです。神さまのみこころは「すべての人が救われて真理を知るようになる」ことであるので、それを妨げるような行動は避けるべきなのです。カッコよさ、好み、それらを礼拝や賛美に持ち込んではいけないのです。

 私たちの礼拝讃美が、天の御国を表すものとなるように、人間的な要素を排除して、救いの感謝と喜びをもって神さまを見上げるための賛美をささげましょう。

 

*では、25章を読みましょう。   

   ・・・最後にお祈りしましょう。