いしゃ先生 | Akkoの保健室♪

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現在健康管理センターでお仕事をしています.

世帯主さんと2人暮らしをはじめて14年目に入りました.
ひみつのAkko♪の目で見た日常を つらつら綴っていきます♪




本日はお家行事のあと
志田周子さんの生涯を描いたいしゃ先生を
ひとりで鑑賞してまいりました



彼女は山形に住む父からの電報を読み
取るものもとらず帰郷します

村長だった父が、無医村だった自分の村に周子の了承も得ず周子の名義で診療所建設を始めていたのでした
はじめは3年間だけ頑張ってみようと心に決めて診療所の仕事を始めます
東京にいる 想う人の存在を胸に秘めながら

結局周子は自身に降りかかる数々の試練、運命に負けず、51歳という若さで食道がんを患って死に至るまで、たったひとりで村人の命を守りました


今回、この映画を観たくなったのは
映画の舞台が山形だったこと
母方の祖母の故郷は山形で
山形には縁があり、今も親戚がたくさんあるのですが、今は亡き祖母の山形弁を感じたくなったのでした

懐かしい訛りと
国民皆保険制度が始まる以前に、田舎での医療活動をする厳しさ
父の願いを誰よりも理解した周子は
想いを寄せる人がいるのに
生涯を独身で過ごしたその女心


“結婚は諦めたけど、子供は生んでみたかったな”

“私は百合のように凛として生きたかった。
けれど今は野に咲く小菊のようにたくましく生きたい。”


(正確な台詞を忘れてしまいました...)

映画の終盤、周子は弟に

“好きな人がいたらその人の手は絶対に離したらいけないよ”

と言います




これを観たあと

自分の人生は今のままで良いのか

なんて考えてしまいました





実はこの前日に
私の些細な閃きがきっかけで
27年来の友人と、初めて二人きりであんなにも長時間、語り合いました
これは予想外に的をついた会話にまで及んで
私は本当に不意をつかれてしまい
長年の肩の荷が軽くなった
そんな感覚に見舞われていました

だからかな

平均寿命を全うできるなら
人生も折り返し
早くに両親を見送ったこともあり
両親の逝った年齢を考えると
本当に今の時間をより良く生きたいと思うのでした


自分の望む人生を
愛してる
そう言える人と共に生きていきたい
そういう人生でありたいと思うのでした