お久しぶりです





奇跡を願っていたのですが
大好きな父が逝ってしまいました





4月から始まったテレワーク
自分の中ではゆっくりモード
5月はスペシャル連休となり
ゆっくりしすぎたと
ヌクヌクしていた





妹から
父の余命宣告を受けた
最期に何が出来るだろうと
GWの翌週に一本の電話





『そんなに長くない
いつ突然倒れるか分からない』






嘘だ
頭の中が真っ白でした





何ではてなマーク





春休み
元気だったじゃん





きっとリスク回避で
大袈裟に先生が言っているだけ
そう違いない






そう信じたかった






テレワーク中で
気持ちに余裕があるはずなのに
一気に気持ちが重たくなった





実家に帰ったら帰って来られるのか
本当は何か分かっていたかのように
身体が鉛のようだった

いつもの帰省なら
喜んで身支度の用意なんか
お茶の子さいさいなのに





帰省しても
コロ助の影響で
毎日お見舞いに行けず





妹と
父の青春時代から結婚式
私達の誕生から孫に囲まれた
今年の春休みまでの家族で撮った写真
ミニアルバムを作った本





息を引き取る前日は
嬉しそうに見ていて
看護師さんたちと
話していたよう





コロ助の影響で
毎日お見舞いに行けないのであれば
母は抵抗があったようだけど
実家で引き取り
医療行為は最低限お願いし
私が責任を持って看ると覚悟して
母に話をしていた朝の出来事でした





あと1時間と
病院からの電話





化粧してない
とにかくタクシー呼んで
飛び出した





呼吸が乱れている父に
何度も
今日退院するんだからね!!
皆で退院祝いするんだよ!!
呼びかけた





だけど
退院は夢で終わってしまった






前日に
退院計画書にサインした時
父は嬉しそうに見ていたのだ






だから
尚更家に帰ってきて欲しかった





妹と
もう病院でいいよ、と
父が言っていたのかもね、と
お互いを慰めた





私と妹、息子が産まれた病院で
父がいなくなりました





亡くなる前日のお見舞いの時
父は舌癌をやっているので
正直何を言っているか
ほぼ分からなかったのだけど
孫(私の息子)か産まれた時は
毎日来たなぁと言ってくれた父





それだけは聞き取れた





そう
私が出産した時
既に退職していた父は
毎日私と息子の様子を
見に来てくれたのでした
しかも自転車で






もっと親孝行したかった
もっと沢山話したかった





最期は看取れて良かった
あと1時間と言われたけど
奇跡的な体力で
関西から駆けつけた孫(息子)とも会い
私も朦朧とする父に沢山話掛け
伝えたいことは伝えたつもり





身体が冷たくなっても
病室にて待機する時間があったので
私は一人残り、ひたすら話続けた





父の身体は存在しないけど
父の魂と思い出は
私の中でいつまでも生きている
そう思っています





最後までお付き合いいただき
ありがとうございましたラブラブ