今まで入院したことある?

 

5月12日がフローレンスナイチンゲールの誕生日なので、1965年この日が国際看護の日となった。

 

入院したのは、19歳の時に虫垂炎の手術の為に、、

大学のテスト中だった、慢性盲腸で抗生剤アンピシリンを飲んで散らしていたのだが、

服薬しても痛み、突っ張りがあり

白血球数を測り、腫れているので手術となった。

腰椎麻酔だったが、海老のようになり、多分太い針で、麻酔薬を注入した。冷たいのが入って来た、、

からきし、駄目なので、メソメソ泣いていた、大学が医療系なので

OPEしてくれた外科の先生が、ミラーで切ったところとか見る?と言って下さったが、

私の顔を覗き込んで、この子、泣いてるやん

と笑っておられた。

メソメソして、、ハラハラ涙を流しながら、、手術の間、看護婦さんに手を握って貰っていた。

麻酔が、とける時に眩暈がしたり酷く吐き気がして驚いた。

 

19歳だったので、何と小児病棟に入院したが相部屋なので、着替えの時とか何かと気になった。

手術の次の日からは快調で、お友達が沢山お見舞いに来てくれた、笑うと傷口が痛むのだが、、

皆、帰る時、久しぶりにこんなに笑った

と言っていた、、痛むのだが、筋肉を動かした方が傷口が綺麗に治るらしかった。

オペをしてくれた先生が、丁度切りごろでした、、と良いタイミングだった事を報告してくれた。

取ったものを見せてくれようとしたが、蒼い顔で拒否した。

あ、そう、こういうの苦手やったな、、と

呟いておられた。

 

父の血栓のオペをして下さった名医の優しい先生も、、足を切断するかもしれないという術前の同意書があったのだが、

無事に切断せずに治して下さった。日曜日なのに、、出て来てオペして下さったので、神様のようだった。

次の日だったら、多分敗血症とかで父は亡くなっていたらしかった。

その先生も、オペで取り除いた血栓をスピッツ、所謂プラスチックの遠沈菅に入れて、、自慢気に?見せて下さった、

一族皆、血とか特に極端に苦手なので、、誰も直視できなかったのだが、、

因みにスピッツSpitzはドイツ語で、尖っている。。が語源らしい。

父はOP場に運ばれるときに、母に来世でも一緒になろな!と叫んでいた。

ゲンの悪い事、言わんといて、、と母は囁いていた。

 

私は盲腸手術の前の数年、胃痙攣のような症状がよく出て、ひどい時は救急車で救急搬送されたりしていた。

盲腸の手術のあと、1年くらい経った頃には、胃痙攣のような症状、食後の胸焼け、腹部膨満感、、などが全く無くなった。

凄いなあ、オペで取った後に

健康になれるんだ、、

 

そういえば、幼い頃から自家中毒の時に、高熱で吐き戻しばかりで、今でいう脱水のおそれがあるので、、往診に来てもらい腕に太い注射を長い時間をかけて、注射液を入れて貰った。その時も痛みや目眩や何やかやで、お医者さんが来るまで父に手を握ってもらっていた。何かを握ると力が入って、、気を確かに持てるのか、、

盲腸の時のオペで、手を握って下さった看護婦さん、有難うございます。

 

眼科の開業医の奥さんになっている親友に聞いたが、手術用に

大きな抱き枕のように、恐怖?を和らげるために、ぎゅっとするものが必要で置いてあるらしい。

大の大人の男の人も、、目の手術中、、ヌイグルミみたいに、ぎゅっと抱っこして抱きしめておられるらしい。

人間、幾つになっても、やっぱり何かをぎゅっとすると、落ち着くんだな、、!

 

 

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