大観さんと晩酌したい! 横山大観の真実 パリで曽孫の横山浩一さんの講演会 | 鏡の魔法を パリから

鏡の魔法を パリから

Paris在住、ビズネア敦子です。
生きるのが辛いだけだった人生が、鏡に出逢って薔薇色になりました。
鏡に映る自分に向かって、ニコッ✌️と微笑む事から始めませんか。
潜在意識に働きかける、世界一シンプルな魔法のメソッドです。

ひみつの鏡のアッコ鏡こと、ビズネア磯野敦子です。
パリ郊外からボンソワ〜♪

 

今日は、断捨離は一休みして、パリに行って来ました。

目的は、

 

横山大観の真実

 

と、題された講演会。

大観の曽孫にあたる横山浩一さんのお話会が、凱旋近くのホテル・ナポレオン・パリで開催されたのです。

参加者の3割くらいはフランス人だったでしょうか。

 

水戸出身の大観、4歳から日立で育った私は、何かと彼の名前を耳にする機会が多かったのですが、有名な作品以外には馴染みがなく、彼の人生や人柄については、全く知りませんでした。

でも、今日のお話を伺って、彼の人となりに、すっかり魅せられてしまいました。
とってもダイナミックで、暖かくて、お茶目な男性だったみたい。

 

 この笑顔!
 
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彼は、とにかく頭が良く、小学校を”一等賞”で卒業、中学校卒業時は、国で3番目の成績だったそう。

 

曽孫の横山浩一さん 

公益財団法人横山大観記念館理事を勤められています

とっても楽しく、分かりやすいお話でした

 

若き日の大観 男前!

 

 

思いっきり省略した覚え書き。

 

18歳の春、まだ将来の道を決めかねていた大観は、東大予備門建築家と英語科を同時に受験したが、最終的には内規違反とされ、進学を断念する事になった。
けれども、それがきっかけで、美術の世界に入った! 
 
東京美術学校の校長であった岡倉天心に出逢い、兄弟弟子だった、菱田春草とは無二の親友に。
”朦朧体”と呼ばれる、新しい画風を創り出したものの、日本では全く評価されなかった。
 
天心に選ばれて赴いたインドで、エベレストまで出向く。
そこで、インド芸術と日本の相違を体感して帰国、その後、富士山を多角的な観点から描くようになった。
(当時、富士山を描くのは、あまりに一般的過ぎて、幼稚な事とみなされていた)

海外に目を向けた天心の勧めで、アメリカで個展&販売会をしたら、大絶賛。
その後、ロンドンとパリでも展覧会をして、日本に於ける印象派というイメージを定着させて行った。
 
とっても共感したのが、”画は人なり”という、大観の信念。
 
芸術は人の理想から作る。
根本は人格を作るのが土台である。
芸術は、直ちに鏡に自分の顔を映すより明らか。
 
 
どんなに手業を磨いても、嫌な人になっちゃったら 何にもならない!と、私も、常々、思っているから。
 
 
また、大観は大変な酒好きで、人生の後半は、広島の”醉心”を、”主食”と表現する程だったそう。
酒蔵の社長と、”酒造りも絵画も芸術だ”と意気投合し、一生分の飲み分を約束された。
その代わりに、自身の作品を寄贈し続けた物が集まり、”大観記念館”が出来上がった。
 

まろやかでありながら辛口らしい

これは、帰国したら注文せねば!

 

 

あの時代に、日本画を世界に知らしめた功績に、心からの敬意を表します。

ちょっと前、他界した人で、好きな人に会えるとしたら、赤塚不二夫さん・・と、書きましたが、大観さんとも、お酒を酌み交わしたい・・・と、思ってしまった、日本酒好きな私でありました!

 

 

 

 

今日も幸せ〜♪

 

 

 

 

全ては一つ。

あらゆる存在に感謝しつつ。

いつもいつも有難うございます。

 

 

 

ビズネアあっこ

 

 

 

 

  

 

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