22年前の今日(2001年9月11日)、アメリカでは、9-11(Nine-Eleven) と呼ばれるニューヨークでの同時多発テロ事件が起きました。皆さん、覚えていますか?

 

私は、この日の午後、当時の大阪産業大学のLA海外研修所(OSULA)で確か中高校生向けの日本語プログラムの秋学期を始めるにあたって、アメリカ人生徒の父兄を招いてオリエンテーションをやる計画を立てていました。

 

ところが、早朝からこのニュースをテレビで見聞きし、これは、まるでアメリカにとって、まるで第2次世界大戦に次ぐ大惨事として捉えられるほど、ショックな出来事だったという記憶があります。

 

第2次世界大戦の時は、ハワイのパールハーバーを襲撃された訳ですが、この時はアメリカ本土で、しかもNYという大都市を目掛けた事件でした。

 

生徒の父兄から問い合わせがありましたが、私は予定通りオリエンテーションをやることにして、「こういう世の中だからこそ、お互いに自分とは異なる文化や考え方を理解する必要がある」ということを、アメリカ人の父兄の方達にも伝えた記憶があります。おそらく、日本人の私からのこんな言葉も彼らには何の慰めにもならなかったとは思いますが。。。

 

最後の最後まで、愛する家族に携帯電話で残した愛のボイスメッセージなどが、後で公開されたりして、直接被害に遭わなかった多くの国民も、そして世界中の人達も心を痛めたのではないでしょうか。。。

 

そして、もっと振り返ってみると、

 

その10年前1992年(1/17/1992)には、私の地元ロサンゼルスで大地震が、そして、ちょうどその1年前の1991年(1/17/1991)には神戸大震災が、起こっていました。この2つの地震はどちらも同じぐらいの規模で同じぐらいの早朝時に起きたことを今でも覚えています。。

 

また、9-11の10年後には、東北大震災が2011年3月11日に起こりましたよね。。。

 

そして、その約10年後の2020年3月にはコロナの発生が。。。

 

こういう大惨事を目の当たりにする度に、私達は命のはかなさを感じます。10年ぐらいして、そろそろその時の記憶が薄れようとしている時にまた、まるで「忘れないで!」とでも言われているかのようです。

 

物が溢れ比較的安全な環境で、普段あまり自分の命が脅かされることがない環境に住めている私達は、とってもラッキーな訳ですが、まるでこういう惨事でも起きなければ、自分達の命は有限であることということをついつい忘れてしまっていますよね。

 

今日という日が、自分の命はいつまでも続くのが当たり前と錯覚してしまいそうな私たちの意識をまた元の場所に戻してくれる日として、私は捉えたい。

 

私たちの命は、当たり前に与えられているのではなく、奇跡のような身体の働きによって、奇跡のような宇宙の計らいによって、生かされているのだということを、改めて感じてみたいと、ふと思いました。

 

皆さんは、今日何を感じていますか?

 

Love,

アッコちゃん