流産の兆候~言葉の力~ | 愛しの3匹のこぶた~長男とミックスツインとの愛しき日々~


流産の兆候~出血~




私の母は
兄を出産する前に2度の流産経験があり、

何十年経った今でも
大きな悲しみの出来事として母の心の中にあります。

きっと、忘れることも癒えることもない出来事。


その出来事を口にすらできなかった母。

デリカシーのない父がポロッと話してしまったことで
私は知ることになったのです。

20代前半の頃でした。



ずっと心に閉まっていた出来事を聞いていいものか...

でも、兄か姉の存在をちゃんと知りたい。

そう思い、母にその時の出来事を聞きました。

でも、母はほとんど語りませんでした。

そんな母の様子に深い悲しみを感じ
心がとても痛かったです。

とても寂しそうな、
そしてとても悲しそうな顔をしている母。

そんな母を見つめる私もきっと

悲しそうな顔をしていたんだと思います。

母が最後に

『でもね。これで良かったのよ。
お母さんは子供は2人って決めてたから、
あの時、無事に産まれていたら
あなたには会えなかったから。
だから、これでいいの。』

そう自分に言い聞かせるように言いました。


例えこの世に誕生する前でも、
お腹に宿った時点で『我が子』には代わりなく
我が子を亡くすことはきっと一生消えることのない悲しみや喪失感を心の中に抱えて生きていくことなんのだと思います。


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いつ流産してもおかしくない状況で、実家での絶対安静の日々が始まりました。

トイレ以外、寝て過ごすし、受診の前の日に父に送ってもらい自宅に帰る。
自宅でも安静に過ごし、受診日にタクシーで病院受診をし、診察後その足で夫に車で送ってもらい実家に帰る。

そんな日々を約2ヶ月間過ごしました。

出血し、実家に帰った日の夜、そして、受診の前の日に母は私に


『もしダメだったとしても、それは縁がなかっただけ、ただそれだけのことよ。
大丈夫。妊娠できたのだから、まだチャンスはあるのだから』

と、必ず言いました。



妊娠したと分かった日からも、
そして
流産の兆候があった時にも
たくさんの方のblogを拝見しました。

その中には言われて傷付いた、嫌だった言葉のお話しも多々見かけます。


母の言葉は、そんな言葉なのかもしれません。


でも、私の心にすっと入ってきました。


もちろん、『次』なんて考えられません。
なぜなら、いつかの誰かではなく、
今、ここにいるこの子に会いたいのですから。

そもそも、『次』なんてないかもしれない。


だから、母の言葉は心に刺さる言葉なのかもしれません。

でも、私にとってはそうではありません。


それは、私のことを本当に想い、かけてくれた言葉だと思うからです。


悲しみの中にいると、普段は受け止められることでも、敏感になり不快に感じることもあると思います。

人それぞれ、受け止め方も違います。

でも、大切なのは
その言葉に込められた『想い』だと思うのです。



誰よりも流産の悲しみ、辛さを知っている母。

誰よりも私の幸せを願っている母。


悲しい結果になってしまった時に、
前を向いてほしいと願い、かけてくれた言葉だということが分かります。



悲しみの中にいる時こそ、
近くにある愛情を忘れずにいたいと私は思います。


言葉は時に
悲しみや後悔を大きくすることも

かけられる言葉によって、
前を向けたり、傷が癒えることもあります。


言葉の力はその後の人生を左右することだってある。


だからね、ママはいつだって伝えたい。

君たちが大好きだって。

君たちがいて幸せなんだって。


いつか悲しみの中に呑み込まれそうなった時、
目の前にある現実に立ちすくんでしまった時、

そんな時でも

ちゃんと愛情を感じとれる人であってほしいから。

だから、ママはいつだって

温かい言葉で包んであげたいよ。