松江、広島と回り、さあ明日は小倉に戻ろうとしていた矢先に夜遅くの電話
夜中の電話ほど人の気持ちを不安にさせるものはありませんね
また母が倒れたのかと思って電話をとると義妹で
"先ほど息を引き取りました。心臓マッサージも30分以上して頂いたのですが、今止めて頂きました。"と
弟が亡くなった
わかってはいました。
一年前すい臓がんとわかって手術もできなくて、一年持てばと言われていました。
でもなんとか一年経ち、最近は流石に衰えもでてきて本人もきついわ〜と弱音が出始めていて
義妹も辛かったと思います。
でもまだもう少し持ちこたえるだろうと油断してました。きっと本人もまさかと思ったのでは
倒れた時まさかの顔で目も見開いていたそうです。
すぐに救急車で運ばれて、そのまま何にも言わず逝ったそうです。
最期の別れくらいさせてやりたかったですね
でも家族に見守られて逝きました
若い頃からボーイスカウトなどで活躍し、山登りやテニスやスポーツも好きでたくさんの友人に囲まれていました。
通夜や葬儀も本当に大勢の方々に参列して頂き、今更ながら弟の交際の広さに感心しました。有難いことです。
内緒にしていた母には元気な次弟が知らせてくれました。
泣いてはいたけどもっと取り乱すかと思った
と連絡がありました。
私が会いに行った時も代わってやりたいと何遍も言いましたが
そうだね〜.みんなそう思っているけど、神さまは意地悪やね
もう少しお母さんには頑張れと言ってるんやわ
と励ましているのか…慰めているのか…
まあ、何を言っても受付けないでしょう
こんな冠婚葬祭でしか集まれなくなった親戚ですが、
楽しいことで集まりたいね〜といつも同じ繰り返し
弟の娘二人、私の娘二人。次弟の娘二人
計6人の女性 なかなか揃わないけど仲良しです。
私の長女が一番上で44歳、一番下が36歳
みんな大きくなって
しっかりお母さんしてるわ
弟の遺影の前で揃って記念撮影してました。
おじちゃんいないけど、みんなで仲良くするからね…と
辛い中、ちょっとほっとした時間でした。
長〜い長〜い二日間でした。
嵐のような二週間でした。