身内の死(孤独死) |   kitchen aki 美味しい毎日

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kitchen akiを始めて早や6年、たくさんの方に出会い、助けられここまできました。ゆっくりマイペースでやらせいただいているのに、こんなに続けられて感謝の毎日
相変わらずいろんなことに好奇心いっぱいのakkoさんですが今はなかなかできません。
 

叔父が亡くなったと連絡が入りました。
母の弟になるのですが、まだおじさんが独身の頃から我が家に入り浸っていましたので、私も幼い頃から”おじさん”と呼ばず”お兄ちゃん”と呼んでいました。

今でも会うとみつるにいちゃんと呼びます。

お父さんが早く亡くなったので、私の母もですが、この叔父も苦労したようです。
母は女学校でしたが、この叔父はまだ小学生でしたので、中学校を出てすぐに仕事に就きました。
ほんとは上の学校に行きたかったけど無理は言えんかったと聞いたことがあります。

クリーニング店に勤め始め、そこで親方にアイロン技術を叩きこまれ、それから70年近く、クリーニング一筋の人生でした。

私は今でも色々なクリーニング店に洋服を出しますが、未だに叔父以上のアイロン技術を見たことがありません。

独立してからも、その技術で頑張っていましたが、奥さんを乳がんで先立たれ、その寂しさも癒えぬまに
あの阪神大震災にあい、地震では壊れなかった家も火災で全て失くしました。

でもやはりそれからも腕一本で立ち直りました。
もう店は持たないと言ってましたが、あの腕はわかる人にはわかるのですね。
引く手あまたの中から一流ホテルのクリーニング部に入り、亡くなるまで働いていました。


着道楽で(これって母もそうですし、母の双子の妹もそうなので血筋かもしれません)
いつもお洒落でしたね。

好きな仕事をし、好きなお酒を楽しみ、競馬が趣味
老後は人生楽しんでいるように見えました。

私の父が亡くなった時には現場に一緒にいたこともあり、母に泣いて謝っていました。
僕がついてながら、こんなことになってしまって…と

父の死は誰のせいでもありません。たまたま一緒に行ったゴルフ場で倒れたので責任を感じてくれたのです。その後もたびたび私たち家族に気遣ってくれていました。

母と母の妹である叔母さん、そして叔父さん。
一番若い叔父から亡くなりました。

母も叔父さんの娘たちも言っていましたが、
亡くなったのは仕方ないけど、一人で死んでいったのが悔しいと、可哀想だと

一人暮らしでしたのですぐにわからなかったそうです。勤め先から出勤してこないというので調べてもらったら部屋で倒れているのを発見されたらしいです。でもまだ勤めていたから発見が早かったのです。何もしていなければもっと発見が遅れたかもしれません。

娘二人に迷惑かけずに逝ったんだよ。
この顔がそう言ってるよ。苦しんだ顔じゃないし、ほんとに穏やかなお顔だよと声をかけました。

私もよくわかります。私の父も家族に看取られずに逝きました。それが後悔としてありますが、どんな形でも親の死は辛いものです。
幸い二人の娘たちにはしっかりした家族がそばにいます。大丈夫です。


叔父さん!
天国で父に会ったらよろしく言っといてください。
akkoももうすぐ行きますから。

楽しげにピースをしている遺影の写真が叔父さんらしかった。
心からお悔やみ申し上げます。


こんな時しか親戚に会えません。懐かしい話がいっばいでました
あっという間に最終列車の時間
後ろ髪を引かれながら新幹線に乗りました。