2009・12・16
また訃報が届きました。
煎茶の元先生です。
私が煎茶というものを知ったのは松江在住のときです。
偶然近くにあった公民館講座を受講したのが最初です。
その時に講師をしておられたのがこの先生です。
公民館ではすべての項目は教えられないので、自宅に習いに来ませんかと声をかけていただきました。
それから松江にいる4年間で師範の免状までいただきました。
その後九州に引越ししたのですが、そのまま島根支部所属のまま、今日に至りました。
そんなわけでいまだに島根まで時折お稽古やお手伝いに行っているのです。
この先生は本当に波乱万丈の人生を歩まれました。
この時代の方は多かれ少なかれみなさんいろいろご苦労されておられますが、
熊本で生まれ幼いときに満州に両親と渡りその時代はとても裕福な暮らしをされたようです。
その後ご多分にもれず、大変な苦労をされて引き上げて来られたのです。
お稽古のあとのほんに時間のおしゃべりの合間にポツリポツリと語っておられました。
結婚後は転勤が多く、最後に松江に在住されて松江には40年以上住んでおられたとか
もうすっかり松江の方と思っていましたが、松江の方には最後まで受け入れてもらえなかった
といつも嘆いておられました。
よそ者扱いだったわね~ いつまでも・・・・ と
松江に地域性でしょうね
特にお茶の世界なんていうのは特別な世界で女の世界ですからね
そこで生きていこうと思うと色々衝突やねたみや意地悪があったと思います。
島根支部のNO3までいかれた方ですから
その後ご主人が認知症で倒れ、その介護で先生も入退院を繰り返され
ご主人が亡くなられたときはすっかり体を壊されていました。それでも気力でがんばっておられました。
先生にとってはお茶を教えていることが唯一のプライドだったのでしょう
息子さんが中国、長女さんが東京におれて、一緒に住むことも無理だったのでしょうね
一人で松江の老人ホームに入られました。
入居当初はホームでお茶を教えておられたりしてなんとか過ごしておられました。
年に何度か松江に行ったときにはお顔をみがてらおしゃべりのお相手をしていました。
そのときの嬉しそうなお顔は今も忘れません。
一昨年あたりから入院が多くなり、広島におられる長男のお嫁さんが月に何度通っておられたという話を聞きました。
広島ー松江もバスで4時間かかります。
毎月通うのも大変だったのでしょう
とうとう先生も決心されたのでしょう。
昨年広島の長男さん宅に引き取られていかれました。
あと何年かで長男も中国から帰ってきて定年だから、しばらくはお嫁さんと二人で暮らすわと
あきらめられたです。
息子さんが戻ってくるまでは一人でがんばろうと思っておられたのです
広島ならここから近いので、時々伺いますねと約束したのですが、一度も果たせず
突然訃報が届いたのです。
自分の不義理にほとほといやになりました。
自分のことが忙しいのにかまけて、気になりつつ連絡も取らなかったのです。
この夏に今の先生から
お悪いことも聞いていたのに、すぐに電話すればお声だけでも聞けただろうに・・・
あんなにお世話になったのに、何も恩返しもできずに、とても残念です。
先生がいつも私に会うと
akkoさんにお稽古してしているときが一番幸せなときだったように思う・・・・・
主人も元気だったし、子供たちも若くてそれぞれがんばっていたし
私も元気で好きなお茶に没頭できたし・・・・
と言われていました。
いつもいつもかわいがっていただきました。
遠距離稽古のわがままにも気持ちよく対処していただき、とても大事にしていただきました。
それなのに、何もできなかった。
後悔します。
今年の訃報はクーに始まり先生に終わるようですが
どちらも悔いの残る別れ方をしました。
お線香だけでもあげに行かなければと思います。