2009.7.26(sun)
松江に来てから2日目です。
福岡の家の様子も気になります。
ニュースで流れる見慣れた場所の大きな被害
知人たちの様子も気になりましたが、さいわいみんな大丈夫のようでした。
まだまだ油断はできません。
27年前長崎在住の時に経験した豪雨による土石流被害
200人以上の方が亡くなられました。知人や学校の娘の友達なども亡くなられ
何度もお葬式に行きました。
ちょうど次女の出産を2週間後に控えていた時でしたので、不安な気持ちで過ごした日々でした。
生まれた病院でも水が思うように使えず、家でもガスや水が長く使えず大変でした
風呂が使えず主人の会社の方の家に借りにいったり、給水車の水をアパートの3階まで運んでくださったりと
不便な思いと人の優しさに触れたことを思い出しました。
毎年のように繰り返されるこのような被害を天災だけとはいえないでしょう。
山口のホームの土石流も砂防ダムを作るのが遅れたとか、山の木を伐採したせいだとか・・・
人災とも思えます。
人間中心の環境は自然に優しくないのです。
そのしっぺ返しがこんな形で現れるのではと思わざるをえません。
亡くなられた方のご冥福を心から祈ります。
これからも豪雨は続くようです。
お気をつけください
さてさて話はガラッと変わりますが
私は松江には4年間住みました。
楽しい思い出ばかりではありません。
長女の素行があまりよくなくずいぶん心配した頃でした。
次女は小学1~4年の在学でしたが、ヤマハの音楽教室に通っていました。
このときのメンバーたちとはとても仲良くしていました。
親ぐるみで交流ができ、発表会の衣装作りや各家庭に泊まりで遊びに出かけたり。
我が家の娘だけが途中で転校となりましたが、その転校の日、駅までたくさんの友達が見送りにきて
泣いて別れたことが昨日のことのように思い出しました。
それというのも昨夜このときのメンバーのお母さんとミニ同窓会をしました。
”久しぶりやね~”
”変わらないね~” から始まり子供達の成長や思い出話
何人かの子どもはもう結婚してママになってる人もいるとか・・・
もう27歳ですからね、10歳の時に別れたので17年経っているんです。
”あの頃は楽しかったね・・・・・・”
みんなも若かったし、子どもの成長が一番楽しかった頃でもありました。
私が一番年長でしたので、高校生を持っているのは私だけでした
長女の生活に苦慮していたことを、少しでも忘れ、ほっとできたのは
この次女の仲間たちの時間でした。
娘同士もまだ連絡を取り合っているようです。
お母さん同士も全員会っているわけではないのですが、その何人かとは
こうして松江に来ると連絡します。
昨日も朝メールを入れたら、早速会おうということになって夜のお食事会になりました。
嬉しいですね。
今、親の介護で大変な彼女たちです。
二人ともご主人の親と結婚当初から同居しています。
自分の親と舅、姑の介護は彼女たちの体も心も蝕んでいきます。
私の知らない17年は彼女たちのイメージがずいぶん変わりました。
おっとりした優しげな、明るい彼女たちの本当の姿はただ優しい、明るいだけでなく
その裏で想像を絶する修羅場を乗り越えていたのです。
私だって人並みに介護の苦労も舅の関係もきついことがありましたが、私の苦労話など
吹っ飛ぶほどの辛い辛い思いをしてきたのです。
それを一つひとつ生皮をはぐ思いで超えて、今ここに娘の笑顔の結婚やら孫の誕生やら・・・
今までの苦労が報われたようです。
彼女たちは今、自分の地位をゆるぎないものに確立し、家でも仕事でも、なくてはならない立場となっています。
相変わらず明るくて優しい笑顔でしたが、その笑顔はいっぱい泣いていっぱい苦しんできた
あとの本当の笑顔のようでした。
もちろんまだ通過点です。
親のことも娘たちのことも終わりではありません
でも彼女たちはこれからも強くたくましい女として乗り越えていくと思います。
反省しました。私も負けておれません。
輝いている彼女たちに。
これからも会いたいね。もう自分のこと中心でいいんだよね
すぐに次の集まりが決まりました。(こんなことはほんとハヤイです(;^ω^A
あっという間の3時間のおしゃべりでした。
今夜の3人の共通点は
夫がみんな優しいということでしょうか
だから頑張れたのだと思います。