【今週の暗誦聖句】

「見よ。この方こそ、待ち望んでいた私たちの神。私たちを救ってくださる。この方こそ、私たちが待ち望んでいた主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」イザヤ書 25章9節

 

【今日の聖句】

「しかし 私にとって 神のみそばにいることが 幸せです。私は 神である主を私の避け所とし あなたのすべてのみわざを語り告げます。」詩篇 73篇28節

 

「(癒された人は)躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。」使徒の働き 3章8節

 

【おすすめ】

 聖書を読む時、つい接続詞をいい加減に読み過ごしてしまうことがあります。今日の聖書でいうと「しかし」や「そして」です。中には訳出されない接続詞もあるそうですが、だからこそ敢えて訳出されている接続詞は大切な意味があると言えるでしょう。

 

 今日の詩篇の「しかし」の場合、どんなに世で裕福になって成功を収めたとしても、神のそばにいることに比べればそれは無に等しいことを告白しているのです。神を知って、神を求め続ける人生と、神を知っていると思い込んで、神を求めず、過ぎ去る者を求め続ける人生には全く違った結末が備えられています。

 

 生きていながらこの世の成功を求めることさえ許されなかった人がいました。彼の病はお金や人の力では癒されることはありませんでした。けれども、たったひとつだけ、彼の人生を真逆にする方法がありました。それは十字架にかかり死んでよみがえられたイエスの名を信じるということでした。

 

 使徒ペテロは「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と命じた後、彼に手を差し伸べ、右手を取って立たせました。彼は立ち上がり、神を賛美しながら使徒たちと一緒に宮に入り、神を礼拝する人になりました。誰が神であるのかを知ったならば、その人は神を讃えずにはおられなくなるのです。

 

 人にとっての一番の苦しみは、本当の神を知らず、神から離れ、神を讃えることができないことです。助けを必要としている人に手を差し伸べ、右手を取る働きが私たちには求められているのではないでしょうか。