【今週の暗誦聖句】

「キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり(ました。)」ヘブル人への手紙 5章8,9節

 

【今日の聖句】

「イスラエルの子らが主に叫び求めたとき、主はイスラエルの子らのために一人の救助者を起こして、彼らを救われた。」士師記 3章9節

 

「(ザカリヤは言った)ほむべきかな、イスラエルの神、主。主はその御民を顧みて、贖いをなし、」ルカの福音書 1章68節

 

【おすすめ】

 イスラエルは、指導者ヨシュアがいたときにはイスラエルの神に聞き従いました。しかし士師記を見ますと、神が与えられた地に入るために命じられたことを完全には遂行しなかったことが書かれています。そのため、「主を知らず、主がイスラエルのために行われたわざも知らない、別の世代が起こ(士師記2:10)」ると、イスラエルはその土地にあった偶像(バアル)を拝むようになります。神はカナンに住む異邦の民を、すぐに追い払うことはされませんでした。それは「先祖たちが守ったように、彼らも主の道を守って歩むかどうか、これらの国民によってイスラエルを試みるため(2:22)」でした。

 

 士師記は、主を叫び求めては、主が民をあわれみ、救助者を起こしてくださり、その者が生きている間は平和が保たれる者ものの、再び偶像礼拝に陥っていく民の姿が書かれている暗い時代を描いている書簡と言えます。この書を読むことで心が暗くなるのは、彼らの罪深さが自分の心の状態と何一つ変わらないことに気付かされるからでしょう。また神がこのようなご自分の民の姿をそのまま書き残させたのは、何度も罪に陥りながらも何度もご自分の民をあわれんで御手を差し伸べてくださる、ご自分の民を決してあきらめない、契約に忠実であられる愛の神がおられ、「立ち返れ!」と今生きている私たちにも訴え、命じてくださるためでしょう。

 

 ザカリヤとは、救い主の道備へのために立てられたバプテスマのヨハネの父です。彼はヨハネが生まれるまで話せなくなっていましたが、ヨハネが誕生し、口が開かれた後に賛美をささげました。「顧みる」も「贖いをなし」も既に起こったこと、継続していることとして歌われています。イエスこそ全世界が救われるために与えられた救い主です。このお方に叫び求め救われた者として、御名を宣べ伝える者でありたいと願います。この名を呼び求めて立ち返る人を主はお救いになるのです。