みなさん、おはようございます。

 

【今週の暗誦聖句】

「わがたましいよ 【主】をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」詩篇 103篇2節

 

【聖書のことば】

「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように 神よ 私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」詩篇 42篇1節

 

「また私に言われた。『事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。わたしは渇く者に、いのちの水の泉からただで飲ませる。』」ヨハネの黙示録 21章6節

 

【おすすめ】

 獣に襲われる危険がありながらも、渇きを癒やすためには臆病な雌鹿も谷川に降りてくる、そのような描写と言われます。自分の主人であるサウル王から追われていたダビデが、逃げている最中に主を慕い求めていたことが背景にあると考えられるそうです。ダビデはそのような状況の中で、自分のたましいに語りかけます。「わがたましいよ なぜ おまえはうなだれているのか。私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。」苦しみに会うから神がおられないとは言いません。言い知れない苦しみの中に置かれるからこそ、神を望み、神を知ることができることを教えられます。

 

 天地万物を創造され、完成される神、信仰の創始者であり完成者である主、永遠なる神は、ご自身を慕い求めるように、聖書を通して私たちに語りかけられます。永遠に生きておられる主は、慕い求める者、涙が枯れ、罪によって神から離れ、心が渇き切っている者、しかしその中で尚主のあわれみを求める人に「いのちの泉からただで飲ませる」と言われます。しかし実はただではありません。そのいのちの水の代価はすでに主ご自身の血潮によって支払われているのです。つまり私やあなたのために注がれた恵みが既に神の前には備えられていて、私たちはそれを信仰(心からの信頼)と感謝をもって受け取るのです。

 

 「ああ、渇いている者はみな、水を求めて出て来るがよい。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買え。代価を払わないで、ぶどう酒と乳を。なぜ、あなたがたは、食糧にもならないもののために金を払い、腹を満たさないもののために労するのか。わたしによく聞き従い、良いものを食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づく。耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。わたしはあなたがたと永遠の契約を結ぶ。それは、ダビデへの確かで真実な約束である。」(イザヤ 55:1~3)