宮沢賢治が繰り返し使った「ほんとうの幸い」という言葉。「ほんとう」、すなわち究極の答えとしての真理。古今東西の哲学者や文豪たちが求めてやまない真理を、賢治は「ほんとう」という言葉に込め「本当の幸せ」が何かを生涯を通して考え続けた人でした。『銀河鉄道の夜』の中には「さいはひ(幸い)」という言葉が何度も出てきます。ジョバンニとカムパネルラは死者を乗せた悲しみの列車の中で、「ほんたうのさいはひはいったいなんだろう」と語りあいます。『銀河鉄道の夜』が読者に伝えるメッセージは、「本当の幸せ」とは何か?という問いに絞られる。

 

「僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない」というのも有名なフレーズです。こうした言葉には、自分よりもまわりの人々の幸福のために生きた賢治の本質がよく表れていると思います。賢治には、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(農民芸術概論綱要)という考え方がありました。世界を救うため、あるいは他者の幸福のためであれば、自分を犠牲にし、死に至ることもいとわない、というものだった。

 

それから、『グスコーブドリの伝記』は、主人公ブドリが飢饉で両親を失い、妹と生き別れになる中で、自然の脅威や人々の苦難を背景にしつつ技術者として成長し、自分の命と引き換えに民衆を救う話です。みんなが幸せになることが自分の幸せ、いろいろな悲しみも含めて、あらゆる経験と感情を積み重ねなければならない。よいことだけを求めるのが幸せではないという考えは賢治の視野の広さがよく表れていると思います。

 

しかし、自分を犠牲にして人あるいは世界を幸福にするという考え方は、現代社会を生きる人には、ちょっと違和感がある。人のために死んだら、何にもならないし、そんな幸福は、自己満足ではないのか?

 

賢治と比べてわたしたちは、どんなときに幸せを感じるかというと、自分と他人とを比べて幸せを感じようとする傾向がある。「人の不幸はカモの味」という言葉があるように、ライバルが失敗するとほっとする。逆に仲間がうまくいき幸せになると何となく嫌な気分になる。そんな心理を経験されたことはないでしょうか?

素直に他人の幸せを喜べなかったり、成功を祝うことができないのは人間の習性かもしれません。つい人との比較をしてしまうものです。でも、こうした人との比較をやめて相手の幸せを願った方が、自分も幸せになるというのは本当です。では、他人の幸せを喜べないのはどのような心理状態なのでしょうか。友達に恋人ができたことや、結婚、仕事の成功、などといった、身近な人の「世間的には喜ばしいこととされている」ような報告を聞いても素直に喜べないのは、人間にとって自然な感情である妬(ねた)みの影響が大きいと考えられます。妬みとは、他人が自分よりも有利な状況にあると知ることで引き起こされる感情のことをいい、自分と心理的に近い他人に対して抱きやすく、自分にとって重要なことに対して抱きやすい。

 

この特徴で見てみると、赤の他人の幸せではなく親友の幸せを喜べないことも、外見のコンプレックスがある不美人が美人に妬みを抱きやすくなると考えることができる。美人は男性からモテますし、同性からの妬みは、美人にとって切っても切れないものです。

 

テレビを見ながら女優に「全然かわいくないじゃん」なんて言っている女性は、精神的に未熟で品がないよね。
 

人が本当に幸せになれるのは、人を幸せにすること。自分とは他人との関係で成り立っています。何の労力なしに人を幸せにはできません。人を喜ばせることのできる人は、賢治のように自分のことよりも周りのことに対して、心身共に捧げられる献身的な人です。ちなみに献身的の反対の意味は、「自己中心的」です。