「マインドフルネス瞑想」は、心身を整える効果が高いとして話題だ

 

妄想で膨らんだ心に気づいて、ありのままの現実を感じる練習がマインドフルネス。仏教の開祖であるお釈迦様の瞑想実践法をルーツとし、アメリカなどでもマインドフルネスがブームになっている。 実際、マインドフルネスにはストレスを減らし、自己評価を高め、精神疾患の症状を抑える効果があることが分かっている。マインドフルネスは、日常生活の中に継続的に取り入れることで効果を発揮して、ストレスの改善に効果的です。

 

妄想が次々に出てきて悩む人はとても多いです。これは、ネガティブの場合、うつの原因になるともあります。心配、後悔、怒りがあると考え込んでしまう。考えないようにしても止まらないですね。 心理学ではぐるぐると考えてしまう「ぐるぐる思考」のことを「反すう思考」と呼びます。嬉しかったことや楽しかったことなど、ポジティブなことなら繰り返し考えたいですが、ネガティブな考えは繰り返したくないし、味わいたくないですね。

 

「反すう思考」は、考えたくない、止めたいのに、ぐるぐると同じことを考えてしまう状態のことです。「反すう思考」は、ただ辛いだけではありません。頭の中でぐるぐると同じことを考え続けると、ネガティブな気分がどんどん強くなります。そして、ネガティブな気分になると、過去のネガティブな体験を思い出しやすくなります。「反すう思考」に対して、「考えない」ことは、あまり良い対処法ではないと言われています。人間は、考えないようにしようとすればするほど、その「考え」に注目してしまいます。そうすると、余計気になって頭から離れない悪循環に陥りやすいです。

 

本当の思考停止とは?

 

思考停止というのは、「反すう思考」が多すぎるから頭の中が整理がつかずに、合理的な思考ができない状態になります。なので、仏教では、思考するとアホになると言います。

 

「えー、思考停止なんてしたら自分で判断できないアホになるじゃない」と言う方もいますが、それは、本当の思考停止を経験したことがないからです。本当に思考停止したならば、頭が冴えて高度な集中力、判断力がつき、大事な情報が頭の中に残るようになります。

 

マインドフルネスとは「今、ここ」の自分に意識を向ける手法です。体は「今、ここ」にあっても、思考は過去や未来へ行ったり来たりするもの。だからこそ心がゆらいだ時は「今、ここ」での自分の気持ちや、体の感覚に意識を向けてみる。そこで大事なのは分別や判断を加えず、ありのままを見つめること。

 

さまざまな感情で気持ちがゆらぐのは、心がマインドフルでないサインです。 自分の感情に揺れることなく客観的に受け止めるマインドフルネスを実践することで、心のゆらぎをコントロールできるといわれ「反すう思考」に効果があると言われています。

 

「今、ここ」に専念することの効用

 

未来や過去のことを考えているのを「今、ここ」に気づきマインドフルにするのなら、体は自然本来の状態に戻って行きます。「今、ここ」に専念することで、満足感や安心感を司る幸せホルモンと呼ばれるセロトニンの分泌量が高まります。なので、マインドフルに生きると言うことは、心身をハッピーにするセロトニン分泌を促すことでもあります。

 

自分にマインドフルであると言うことは、気づきの反射の精度を上げて行くことにより、感情が起こるのと同時に気づく訓練を積むことです。そうすることで、無自覚的に感情に振り回されることから、解放されるのです。そして、この能動的な行動を習慣化すると、普段の生活で自分を客観視できる視点が身につきます。ちょっとした心の変化やゆらぎに気づきやすくなるうえ、目の前のことに集中できるようになるので高いパフォーマンスを発揮できる効果もあります。

 

「赤毛のアン」みたいに感情にひたるのはアホなこと?

 

アンは、感情表現豊かな女の子であり、そこが彼女の魅力でもあります。感情を表現すること自体は悪いことではありません。とくに、喜びや嬉しさの感情を出している人はごきげんに見えます。ごきげんな人は、周りから見ても気分のいいものですし、実際に人から好かれます。アンにとって想像力とは、人生を豊かにしてくれるものです。しかし、その想像力が、ときには危険な場合もあります。つまり、「今、ここ」の目の前にある現実を忘れてしまう可能性もあるからです。

 

 

それは、マシューとアンを乗せた馬車が道を曲がって、ニューブリッジの人々が並木道と呼んでいる道にさしかかったときに起こります。アンは、マシューとのそれまでの会話を突然断ち切って、全然違う言葉を言い出します。このように突然話が飛ぶ人は、 色々な事に興味を持ち、頭の中に入ってくる情報を溜め込む傾向があり、頭の中が整理できない状態になりがちです。

 

それから、アンが本当に自分の想像の世界に入ってしまうと、無口になって現実的なことには関心を持たなくなってしまう。たとえば、アンはケーキを作りながら、ダイアナが天然痘にかかって瀕死の重症になるという妄想をしていました。

 

「ダイアナと私を登場人物にして、とびきり素敵な物語を考えていたの。ダイアナが天然痘にかかって瀕死の重症になるの。勇敢にもつきっきりで看病して、一命を取りとめる。でも、今度は私が天然痘にかかって死んでしまって、あの墓地のポプラの下に埋められるのよ。そこでダイアナは、私のお墓のそばにバラを一株植えて、涙で、水やりができるほど泣くの。そして、自分のために命をささげて逝った若き日の友を、決して決して忘れないのよ。おお、なんて悲しいお話でしょう。ダイアナ。ケーキの生地を混ぜている間、涙が雨降りみたいに頬をつたったのよ。でも小麦粉を入れ忘れて、ケーキは、悲惨なことになったの。ケーキに、小麦粉はそれは大切なのね。マリラはひどく怒ったけど、無理もないわ。私はマリラの厄介者なのよ」赤毛のアン (文春文庫)より

 

 

そして、アンは妄想の世界にあまりにも入り込んでしまったため、とうとう泣きだしてケーキの材料を入れ忘れてケーキ作りに失敗します。マリラは一貫してアンの想像力の行き過ぎを言い聞かします。これは、悲劇のヒロインになって妄想をしはじめると現実がおろそかになり日常生活に支障をきたすからです。