パブリックアートへの旅(←勝手に名付けた)

 

 

 

国の重要文化財にも指定されている日本橋三越さん

 

 

その400立方メーターにもなる大きな中央ホールにあるのが

 

 

天女(まごころ)像

 

 

その高さは約11メーター、重さは約5750キロと言うからその物体としての迫力はトンデモない

 

 

 

 

 

 

●《天女(まごころ)》

 

 

天女の像というけれども、中央に全体に比べるととても小さな天女の像があります

 

 

 

 

京都の貴船にあった樹齢500年を超えるヒノキに、岩絵具を合成樹脂で溶いて彩色したもの

 

 

 

三越さんのホームページによると

 

 

「瑞雲に包まれた天女が花芯に降り立つ瞬間の姿」をとらえた豪華絢爛な美しさ(後略)”

 

 

 

とのこと、花に降り立った天女の姿なんですね

 

 

 

 

すごいデコラティブで、その作品の持つ熱量は半端ないって

 

 

いつか紹介しようと思っていた作品です

 

 

 

 

■ 作者 佐藤玄々(1888−1963)

 

 

彼は福島県の宮彫刻の家に生まれたそうです。

 

 

18歳の頃東京に出て、高村光雲の弟子、山崎朝雲に弟子入り、その後フランスへも渡り、彫刻家プールデールの門下へ。

 

 

帰国後、恩師と仲違いをしたりはしたものの、精力的な作家活動をされた方だそうです

 

 

 

 

 

 

▼下から見上げたところ

 

 

 

 

天女の姿が真ん中に、全体の大きさからすると、とても小さくなっていますね

 

 

本当によく見ないとわかりません

 

 

 

下のパネルには、右から

 

「末 天 ご 古 女 ろ」と記載

 

 

「天」と「女」が大きくなっていて

 

 

その間に「末(ま)ご 古(こ) ろ」と「まごころ」と表記してあります

 

 

 

 

 

 

 

 

作品は10年の歳月をかけて昭和35年(1960)に完成

 

 

完成後約60年たった今もその姿は健在です

 

 

 

 

作家は京都の妙心寺にアトリエを構え、多くのお弟子さんや職人の人々と共同で完成に導いたそうです

 

 

 

台座にその人々の名前の入ったパネルがあります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●《天花》

 

 

 

作品制作にあたり、いろいろなものが試作されたました

 

 

これもそのうちの一つ

 

 

 

天女の左手に持つ花の試作品だそうです


 

 

 

 

 

■三越アーカイブス 日本橋

 

昔々に使われていた機械や道具を展示するコーナーが、天女像の裏側の踊り場で展示公開されています

 

 

 

 

●初期の電話機

 


 

 

 

 

●江戸の天保3年のそろばん

 

 

 

 

 

 

江戸時代のそろばんから、60年以上経っている大きな天女の像、いろいろなものがある三越さん

 

 

さすが、老舗というのは、ありとあらゆるものに「フロー」と「ストック」があるのですね

 

 

それが伝統というものの本質なのかもしれません

 

 

 

 

 

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました