宮尾登美子さんの「朱夏 」を読みました。
宮尾さんの自伝的小説だけあって、会話や情景など描写も細かく、映像が浮かびやすい作品です。
生後50日の娘を連れて夫との満州への旅立ちから、終戦、引き揚げ。
特に、終戦後の貧困極まりない生活は壮絶な内容でした。
或る程度の貧困はみんなで助け合おうとするものですが、ある一定ラインを越えた時、大切な我が子を売ってでも食べ物を得ようとする人間の恐ろしさを痛感しました。
「なりふり構わず」という言葉がありますが、倫理とか正義とかいうものは、ある程度のゆとりの中で達成できるものであって、人間は究極の状態に追い込まれたら、「まともに考える」ことができなくなるのだと恐ろしさを感じました。
「星の流れに」という歌を御存知でしょうか?
昭和23年に大ヒットした歌です。
【】内、菊池清麿さんの記事より抜粋
【作詞の清水みのるは、『東京日日新聞』の投書欄に掲載された手記の内容を読んで怒りに体が震えた。その内容は、奉天から引き上げた元看護婦の悲惨な夜の女への転落だった。「こんな女に誰がした」は戦争によってもたらされた悲惨さを告発したものである。
敗戦当時、生活苦から、身を売ったり、米兵に暴行され転落した女性は数しれなかった。戦争の犠牲はまず女性と子供、弱き者を直撃する。米兵による日本人女性への強姦・暴行は数知れなかった。アメリカ兵相手の慰安所をつくったのもそのような事情からである。
清水みのるは歌のタイトルを《こんな女に誰がした》としたが、GHQから「日本の反米感情を煽る」というクレームがつけられた。アメリカという国は自由主義の国だったはずでは。とにかく、GHQの検閲は厳しかった。結局、歌のタイトルはそのような事情から、《星の流れに》になったのである。
焼け跡の星空は悲しかったが、美しかった。作詞の清水は、戦場で明日のわが身を流れ星を見て占った体験があった。星を真っ先にタイトルの置いたのも、清水の体験によるものである。作曲者の利根一郎は、上野の地下道や公園を見て回り五線譜に向かった。敗戦国の惨めさは戦災孤児の姿と夜の女に象徴されていた。戦後の希望が《リンゴの唄》なら、その翳の裏側が《星の流れに》である。】
「星の流れに」
作詩 清水みのる 作曲 利根一郎
昭和22年
1 星の流れに 身を占って
何処をねぐらの 今日の宿
荒(すさ)む心で いるのじゃないが
泣けて涙も 涸れ果てた
こんな女に誰がした
2 煙草ふかして 口笛吹いて
当もない夜の さすらいに
人は見返る わが身は細る
街の灯影の 侘びしさよ
こんな女に誰がした
3 飢えて今頃 妹はどこに
一目逢いたい お母さん
唇紅(ルージュ)哀しや 唇かめば
闇の夜風も 泣いて吹く
こんな女に誰がした
折りしも、週刊現代の10/31号の大橋巨泉さんのコラム「今週の遺言」で、このことが書かれていました。
この女性は、中国で両親を失い、着のみ着のままで引き揚げてきましたが、飢えをしのぐために売春婦に身を落とすまでを淡々と投書に綴っていたそうです。
現在でもこの”投書”は、作詞家清水さんの資料を収集する「浜松文芸館」で見られるそうです。
朱夏の小説の主人公である綾子(宮尾登美子)は、親子3人なんとか無事に帰国することができましたが、投書の女性のような境遇になった方も大変多く、家族が欠けることなく帰れたのは稀なケースだったようです。
現在、世界で飢餓による死亡者が1日2万5000人いると言われている中、日本では1日3万トン以上の食品が捨てられているとのこと。(資料により数字は様々ですが・・・)
う~む・・・。
いろいろ考えさせられました。