「遺憾である」という言葉 | へーそうなんだ

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記者会見でよく耳にする「遺憾である」という言葉。


これってただずるい逃げの言葉じゃないですか?


もし事態を反省しているなら、素直に「ごめんなさい」と言って頭を下げてほしい。


まるで、自分は悪くないような、しかたがなかったような、当事者なのにまるで他人事のような表現だと私は思います。


読売新聞に、その思いを言い当てているコラムを見つけました。


以下全文掲載


 企業や役所で不祥事が明るみに出るたびに浮かんでくる一首がある。

〈方向性 遺憾 認識 結果的 大和言葉で謝りなさい〉(吉竹純)


「不適切」も“謝罪用語”の常連組である。

JR西日本・前社長のコメントにもその一語があった。

「不適切な行為であったと反省し…」。

福知山線の脱線事故を調査した国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の最終報告書案が、公表前にJR西側に漏れていた。

前社長(当時社長)が漏洩(ろうえい)の工作をしたという


 会社に不利な記述を修正するよう、委員に働きかけた疑いももたれている。乗客106人が死亡した事故である。

大和言葉で謝るとすれば、「わが身の行く末が気がかりで、亡くなった方のことなんて頭の中にありませんでした。

ごめんなさい」ということだろう


 漏らした委員の罪も重い。

「きみ、秘密を守れる?」

「もちろん。でも、次の人が守れるかな…」という小話があるが、守秘義務を負う委員がジョークの世界の住人のように軽率で、事故調査の中立性を誰が信じるか


 漏らせと迫った側も、漏らした側も、大和言葉で謝ることから組織の出直しである。


2009年9月26日01時21分 読売新聞)


人間っていうのは、どこまでいっても、自分の身を守ることが最優先なんだなあと痛感します。
何人犠牲者が出ても、その責任は自分に及んでほしくない。
そのためには嘘もつくし、捜査結果の記述をも変更させるということか。

でも・・・
一方だけを責めてはいけない。
調査委員会側が、きっぱり断ればそれで済むこと。
申し出た方は恥をかいて終わり。

ところが、相手も人間。
昔の先輩後輩関係や、金銭がからんで、ここでもまた見る方向は自分サイド。
被害者のことは二の次、三の次・・・ということか。

いやだなあ。


◆ずるくない生き方をしよう
◆正しいことをしよう
◆相手のことを考えよう
◆まじめに生きよう
◆素直になろう