裁判員制度を考える | へーそうなんだ

へーそうなんだ

毎日のつぶやきにお付き合い、ありがとうございます!!
背伸びはしないけど、背筋は伸ばして歩いていきたい。
当たり前のことを情熱を持ってやれる人間でありたい。
自分らしさを大切にしたい。
生きていることに感謝したい。

今日の読売新聞「編集手帳」を読んで、大きく頷いてしまいました。


内容は以下の通り: 

【きょうの阪神・江夏豊投手は打てない――巨人の4番、長嶋茂雄選手がベンチで脱帽したとき、川上哲治監督は他の選手の面前で叱責(しっせき)したという。
おまえには江夏のボールを打つだけの給料を払っているじゃないか
川上さんの長男でスポーツライターの川上貴光氏が「父の背番号は16だった」(朝日文庫)に書いている。

とりとめのない連想ながら、裁判員制度を考えるたびにこの一節が胸に浮かぶ。

毒カレー事件のような「直接証拠なし、動機不明、全面否認」の難事件で死刑をわが手で選び、わが声で告げる苦悩は言葉に尽くせまい。
その苦悩を一身に背負う人だから国民は裁判官を深く尊敬し、重責に報いるだけの給料を払っているじゃないか。
裁判員の日当(=上限1万円)とは格の違う給料を。
裁判に市民感覚を反映させることが裁判員制度の目的ならば、目的の達成も安くはない給料分の内、プロが精進すれば済むことで素人を煩わす必要はない。
ひと月ほどして制度が始まれば、「市民参加の歴史的な改革」という(じょう)套句(とうく)が世に満ちるだろう。
()き消されぬうちに、監督の言葉をつぶやいておく。】

2009年4月22日01時37分 読売新聞)


そうそう、私も同感です。

そもそも裁判員制度とは、
市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するのが目的だそうです。

???ウソでしょう?
日常感覚や常識だけで裁判しちゃうなんて、いいかげん過ぎると思います。もちろん一般常識も必要。でもそれだけでは判断つかないものばかりですよね。
まして、対象となる事件は、外患誘致罪、殺人罪、強盗致死傷罪、傷害致死罪、現住建造物等放火罪、強姦致死罪、危険運転致死罪、保護責任者遺棄致死、身代金目的誘拐罪など一定の重大事件に限られているそうです。

普通の市民には最も縁遠いものだと思います。
それを市民感覚で裁け!というんですよね。
普段全く思いつきもしない大事件がどうして起きたのかを真剣に探ることは、一市民からしたら、相当の時間と体力と気力と研究が必要になります。

それを、日常の仕事や家事や育児その他を犠牲にして、日当がたったの1万円以下って信じられません。

その金額で「OK!」という人がいるとしたら、ニートやプ~太郎で、「ブラブラしてるよりいいか~」って軽い気持ちで引き受ける人か、裁判オタクか、殺人とか強姦などに興味があり、現場写真を見ても具合が悪くなるどころか、快感を覚えるような変態の人じゃないかと不安になります。

唯一希望が持てるのは、本当に本当に真剣に冷静に判断ができる一般の方で、それこそお金はいらないから取り組みたいと思っているような人がいるかもしれないということ。
是非そういう人を見つけ出して、裁判員にしていただきたい。

だから、そもそも、対象が国民全員ではなくて、まずは「希望者」でいいんだと思います。
不適合な人や希望しない人にまで書類を配って集計して面接して・・・って、「日本って国は随分とお金も時間も余裕があるんですね。」っていやみのひとつも言いたくなります。

あ、それも税金ですか。従順な国民ですね。


以下は、なるほど~と思った参考資料


最後に私の結論!

プロとしての仕事をきちんと果たすために、裁判官自身が、市民感覚を持てばいいのではないでしょうか?
それこそ高~い報酬を得ているのですから、それくらいはやってほしいです。
そのためには、市民団体やサークルにも参加できるように、そちらの法律を変えたほうがいいのではないでしょうか?


あなたはどのようにお考えですか?