結果を出すことよりも

努力し続けることに意味があると思ってた私。

 

 

 

それは

存在に対する罪悪感からくると前回お話ししました。

 

 

 

 

 

 

子供のころ

 

 

 

自営業だった父親を見て私は

 

 

 

私がいるからお父さんは自由がなく我慢して働いてるんだ。

 

 

 

そう思い

 

 

 

肩身の狭かった母親を見ては

 

 

 

私がいるからお母さんはこんな窮屈な生活を我慢していなきゃいけないんだ。

 

 

 

そう思っていました。

 

 

 

私がいるから…。

私のせいで…。

 

 

 

という罪悪感が生まれる。

 

 

 

 

もし罪悪感は無意識だとしても

親を見て

 

 

 

 

私がなんとかしなければ!

と感じたりする。

 

 

 

 

罪悪感を感じたときってどうしますか?

 

 

 

 

申し訳ないなぁ。と思ったとき

 

 

 

 

代わりに何か返さなきゃ!

私が何とかしなきゃ!

自分も我慢しなきゃ!

 

 

 

ってなりません?

 

 

 

その結果私は

 

 

 

自分も我慢したり

親に恩を返すべく努力したり

親を幸せにしようと頑張ったり

 

 

 

エネルギーをださなきゃ!

 

 

 

そう思うようになったんです。

 

 

 

 (私が悪いから)

ただそこにいてはいけない。

何かしてないといられない。

 

 

 

ってことです。

 

 

 

エネルギーを出さなきゃ!

我慢しなきゃ!

頑張らなきゃ!

 

 

 

 

自分の存在価値を見出すために

存在に対する罪悪感を払拭するために

 

 

 

 

エネルギーを使う。

 

 

 

 

こんなに頑張ってるんだからここにいていいよね。

こんなに我慢してるんだから愛されていいよね。

私が何とかするから私の存在は認められるよね。

 

 

 

 

でもそれって

マイナスのエネルギーなので

思う通りにはいかない。

 

 

 

 

そもそも親の問題なので

どうにもできないし

親はそんなこと望んでないかもしれない。

 

 

 

でも

 

 

 

頑張ることをやめた途端に

何もしてない自分はここにいてはいけないんじゃないか?

とまた罪悪感が出てくる。

 

 

 

もっとエネルギーをださなきゃ!

 

 

 

となるけど

やっぱり欲しいものは得られない。

 

 

 

 

だから

 

 

 

 

頑張っていないと

我慢してないと

申し訳ないという罪悪感が出てきてしまう

 

 

 

 

存在価値がない気がして居心地が悪いのに

いつまで経っても欲しいものは手に入らない

 

 

 

 

というのを繰り返していく。

 

 

 

 

これが

どんなに結果を出しても意味がなく

頑張ること我慢することそのものに意味がある理由です。

 

 

 

でもさ

自分が親になってみてわかるけど

子供のためにたしかに我慢することもたくさんある。

 

 

 

 

でもだからといって

奪われてるだけではなく

子供の存在そのものに親が与えられてるものってたくさんあるんですよね。

 

 

 

子供からエネルギーをもらうことは

数え切れないほどあります。

 

 

 

自分が親のエネルギーを奪ってばかりいたわけではない。

実はそのままでも愛される価値はあった。

愛されてきたんだ。

 

 

 

そこがわかると

エネルギーを出し続けなくても存在してていいと思えるし

 

 

 

ただいるだけで愛情を受け取る価値があると思えます。

 

 

 

 

自分が勝手に

そのままの自分では価値がないと決めつけて

存在を認めてこなかった。

 

 

 

 

でも

私たちはいるだけで親を幸せにしてきたんですよね。

 

 

 

 

UMIカウンセラー(勉強中)

くのあきこ