ウチの小5の息子

よくできた子なんです。笑

 

 

 

勉強は宿題しかしてないのによくできるし

スポーツもしてないのに運動神経もいい

ピアノも大して練習しないのにいつも褒められて

優しくて友達もたくさんいて

申し分ないんです。

 

 

 

でもね

私は全然物足りない。

 

 

 

勉強してない息子を見るともっとしたらいいのに。

スポーツしようとしない息子に何でもやってみたらいいのに。

ピアノの練習をサクッと終わらせる息子にもっと練習したらもっと出来るのに。

 

 

 

もっと頑張ればいいのに。

 

 

 

もっと、もっと、もっと…。

 

 

 

そう思って

やる気のない息子を見てはイライラしてました。

 

 

 

 

一方娘は

 

 

 

 

勉強が嫌いなのでやりたくない。

すぐに嫌だと言って投げ出すし 

運動も特別出来るわけではない。

暇さえあれば工作したり絵を描いたり。

 

 

 

 

やれば出来るのにどうしてすぐに投げ出すんだ。

結果が出ないのは頑張ってないからだ。

 

 

 

 

とすぐに諦める娘にイライラしてました。

 

 

 

 

すんげースパルタ。。

 

 

 

 

じゃあどうすれば私は満足できるのか?

子供たちがどこまで頑張れば気が済むのか?

 

 

 

そう考えたときにわかったことは

 

 

 

結果がどうこうではなく

努力することや我慢してやることに意味がある。

 

 

 

ということでした。

 

 

 

 

結果は出してるけど

ゲームばかりして努力してないように見える息子にイライラする。

 

 

 

頑張ろうとせずにすぐにあきらめてるように見える娘にイライラする。

 

 

 

 

結果ではなくエネルギーを出す(頑張る)ことに意味があったんです。

 

 

 

 

これね

私もそうだったからなんです。

だから子供たちにもそれを求める。

 

 

 

常に何かにエネルギーを注ぎ

頑張ってないと落ちつかない。

忙しくしてないと落ち着かない。

 

 

 

新しいことを見つけてはそこにエネルギーを注ぎ習得するんだけど

それが手に入るとまた何か違うことに

エネルギーを注がないと落ち着かない。

 

 

 

結果

次から次へと資格を取ったり

セミナーに参加したり

本を大量に買ったり 

いろんな趣味を持ってお金を使ったり

常に何かに向かってエネルギーを注いでいる。

 

 

 

 

エネルギーを出してない(頑張ってない)と居心地が悪いんです。

 

 

 

エネルギーを出すことをやめた瞬間に罪悪感が出てくる。

 

 

 

 

それは実は

 

 

 

 

自分の存在自体に罪悪感があるからかもしれません。

 

 

 

 

続きます。