聖書の解釈 マタイ25 | アキグミ

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秋吉久美子オフィシャルブログ

今日のお説教は、、

マタイによる福音(マタイ25.14-30 または25.14-15、19-21)

イエス様が弟子たちにした例え話。

結構なお金(数千万円から数億の!!)を僕(しもべ)達、

つまり下の者達に預けたご主人が、かなり日が経ってから帰って来て、

たくさん預けた僕が増やしていると良くやった、と褒め、失うのが恐ろしくて、まぁまぁのお金を土の中に隠していて、減らすことも増やすこともしなかった僕には、怠け者の悪い僕だ、暗闇に放り出せ、とまで怒ります?!挙句、そこで泣いて歯軋りするだろう、とまで酷いことを言います。

なんだと?

小心者のしかも、正直な僕を怒るなんて、

薄情で、欲張りで、心無い主人だ。ちょっとないんじゃないの?

と個人的に納得行かなかったが、


神父様曰く、与えられたものを活かす事なく、

土の中に埋めて置くのは残念で寂しいことだ。

あとで後悔することになる。

といった解釈をなさいました。


確かに確かに、、それならわかる。

ものは言いよう(失礼。。)

ビクビクせずに恐れず、あるもの、、愛や、チャンス、才能、教え等々を活かせば、喜びは増えていく、と取れば良いのか、、。

なるほど。


聖書も一人で読むと首をかしげてしまう、こともあるが、神父様の解釈で腑に落ちたりする。

そんなわけで、

お説教、結構楽しいんだよね。

発見がある。

聞いてみないとわからない事がある。


、、と同時に聖書から2000年前のユダヤの文化を知ることもできる。

これはユダヤ人には受け入れられやすい話かも。

知恵を使ってどんどん増やせ、、そうで無いものは、暗闇に放り出される、、的な、、

シビアな民族意識にも取れる。

などとも、勝手に考えた。

歴史、文化、個人差、あるよね、解釈には。