今日はインターネットのミサに預かった。
エルサレムから逃げ出した弟子たちが再び、
復活したイエスと出会うが、わからない。
話してもわからない。
夕食を共にした時に、パンを裂いて分け与える
見知らぬ人がイエスだ!と突然、気がつく。
というルカによる福音書が朗読され、
追ってタルチシオ菊池大司教の講話があった。
それは思わぬことに、イエスの友情についてだった。
どこにいても、気にして、辛抱強く耳を傾けるイエスの友情に気がつきましょう、とのこと。
そうだったなぁ。
イエスは磔になる前に、弟子たちに、
私はあなた方の友だ、、と告げていた。
「わたしはもはや,
あなたがたをしもべとは呼びません。
しもべは主人のすることを
知らないからです。
わたしはあなたがたを友と呼びました。
なぜなら父から聞いたことをみな,
あなたがたに知らせたからです。」
ここは私的に、ヨハネの福音書の中ではググッと来たところだ。
神を友とすれば、恐ろしいことはない。
私たちの孤独な忍耐を、神はご覧になり、
私たちの祈りに耳を傾けて下さっている。
教会に行かないバーチャルなミサがこのまま、続くことはないに違いないが、
家にいてミサに預かるのは、案外良い部分もある。フランソワーズ と一緒に、和やかに過ごしつつ、懐かしい讃美歌を一人大きな声で歌って、やっぱり良いなぁ、と、スカッとした。
ミサが始まっても、このインターネットミサは続けて欲しい。
病気の人、都合でミサに行けない人も、
スマホさえ有れば、参加できる。
心のつかえが、ひととき、取れたようだった。
ところで、私は相変わらず、フランソワーズ のしもべなんだなぁ。
主人 フランソワーズ のすることを知らない。
足りてない弟子ですみません。
若葉が燃え出した。
美しい 若葉。
私たちを見守って欲しい。