作昨日は、炎天下の中、8000歩いてきました。
今日は一日自由時間、フランソワーズ を巻き込んで、ごろごろしています。
と、
心暖かき友人より、
詩集の賞「秋吉久美子賞」の依頼の電話あり。
私なんかと遠慮している場合ではない。
詩は予言であり、意識革命だ。
ずいぶんと、遠ざかっていた。
これを機に、詩の世界に戻りたい気分が沸き起こってくる。
45年振り、、の文学の扉がまた開いた。
昨日島崎藤村の詩がいきなり蘇って来て、
高校生の頃暗記していた時とは違う解釈に気がついた。
まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり |
林檎のもとに見えし時、、、」
リンゴのもとに、、
リンゴはリンゴではあるが、形状的リンゴとばかり捉えてはならないのでは、、。
リンゴはことの始まりなのだ。
むしろ聖書の中のリンゴとして考えるとどうなるのか?
例えばエデンの園の果物とすると、、
そのリンゴを
「やさしく白き手をのべて林檎をわれに与えしは
、、」と続く。
与えしは、
神なのか、天使なのか、悪魔なのか、イブなのか、、
藤村はアダムを意識していたのだろうか、、
それを恋というのか、
人類創生なのか、、
浪漫派で片付けちゃいけないね。
詩は深い。