片付けものをしていて気がついたのですが普段めったに手を触れない部分があります。そのうちの一つがコレ。私が買ったものではありません。(オジンとは言ってますがなんぼなんでもそんな時代に生まれてませんしアンティーク趣味もありません)母方か、父方か、あるいはその前か?いずれにしても100年とは言わないまでも50年以上前の代物だと思います。そして今日まで誰も捨てなかった。そういえば以前LPではなくSP(分厚くて衝撃を加えるとすぐに割れそうな代物)のレコード盤数十枚見たのが記憶にあるのですがそれがどこにあったのか?聞いてみたい衝動に駆られて電気コードを探してみたのですがありません。よく考えれば手巻き。電気はいりません。エコです。残念ながら針はありましたがカートリッジ部分?が探しても見つかりません。なによりそのレコード盤もわからない。はっきりしたのは「物を捨てられない」。そして「音楽好き」。これは私だけの責任ではない。DNAだわ。安心するのもどうかと思いますが・・・そして今。このブツをどうするか?もうしばらく元の場所においておきます。(笑)Sh3b0523_2
 古くからある言葉かと思ってましたがクラターコンサルタント(これもよくわかりません)やましたひでこという人が提唱とWikipediaにあります。ちゃっかりと登録商標を取っていて先のクラターコンサルタントというのも彼女の造語で。「暮らす」+「ガラクタ」の意。なかなかの「やり手」のようです。
断=入ってくる要らない物を断つ
捨=家にずっとある要らない物を捨てる
離=物への執着から離れる
こういう言葉ができるずっと前から内容というかその「教え」は切実に共感出来ていて。というより根っからの貧乏性なのか断捨離全てが苦手。歳を重ねるにつれモノが増える。前回の引越しでも懲りたのですが今回家財道具の整理をしていてまた思います。よく「1年間使わないモノは捨てていい」といいますが1年どころか10年手を通してない衣類がわんさとあります。でも捨てられない。そう頻繁に買ってくるわけでもないのにモノが減らない。増える。今回も整理とは名ばかりでタンスから衣装ケースに移しかえるだけ。この性格は地震か津波で家がなくならないと治らないのかもしれません。

   よりによっておふくろの入っている病棟からインフルエンザに罹患した人が出ました。あらかじめ病院から連絡は受けていたのですがやっぱり気になるのでいつもと同時刻に行きましたが玄関に「面会ご遠慮願います」と貼り紙、それでもエレベーターで上がっるとナースステーションで止められました。「オジンさん。申し訳ないのですがこういう事態ですので今日、いや今週いっぱいは入ってもらえません」古株のナースです。「何人?」「今のところ5名。感染経路がわからないので・・・」感染してから発症するまでのタイムラグが2~3日と言われてます。感染者はそれまで自覚がなくすなわちキャリアーとなり次から次へと拡散します。抵抗力のある人なら一過性で済みますが高齢者の場合、命取りになります。マスクと手指消毒は欠かさずやっているつもりですがこれとて完璧とはいえません。おふくろも去年予防接種は受けてますがそれでもかかる人はかかります。ナースと介護士だけが往復する廊下をしばらく眺めていたのですが結局「異変があったら連絡ください」とだけ言って帰りました。いつも弁当にと開店早々のベーカリーショップで焼きたてのパン買って行くのですが食べる気にもならず、通り道のレストランでランチして帰りました。これにパンかライスがついて1000円。こんなことでもなければ入ることもないところですが店内も落ち着いた雰囲気で客席から厨房で調理しているのが見えます。Sh3b0519_2 Sh3b0520

   明日3日は節分。豆まきは古い暦では立春から新しい年が始まり、その前日の
節分に年越しの厄払いの行事として豆を蒔いたことに由来しているそうです。鬼の目、つまり「魔目(まめ)」めがけて豆を投げれば「魔滅(まめ)」につながるといういわれもあり、言ってみればこれも駄洒落。日本の四季の行事というのは殆どダジャレで成り立ってます。

  私は鬼というと手話サークルの新年会での手話劇。桃太郎。鬼ヶ島を思い出します。あの後、講師さんが「さすがにベテランぞろい。初級や中級のバラバラで脈略のない手話とは違って上手い」と心にもない賛辞を聞いて、まずかったのがダメ押しされたようで落ち込んでました。それでも今日、ひょんなことから聾の方と会話する機会がありました。私の性格からすると聾者と話すというとあらかじめテーマを決め、あれこれシュミレーションして「よし!これで大丈夫!」と気合入れてかかるのですがこういうのって「準備」なしでぶっつけのほうがいいのかもしれません。時間にすれば僅か10分ほどですが相手の方が上手く会話を進めてくれたのでよどむことなく自分でも不思議なほどに表情も豊かに話すことができたと思います。手話をやっていてこんなに楽しい思いをしたのは初めてです。また話したい。次は豆まきのこと手話で話してみようか?でもこうやって「構える」とまたダメなんでしょうねぇ(笑)

 本日から「如月」(きさらぎ)「如月」は別名で「衣更着」とも言い、まだ寒さが残り、衣を更に着る月という由来があるそうです。昨日今日の寒さはまさに「衣更着」そのもの。今季最強の寒波が居座っており、全国の7割以上の観測地点で最低気温が氷点下となる厳しい寒さが続いているようです。?春ゥは名のみの風ェの寒さよォ・・・か。
 映連(日本映画製作者連盟)の発表したところによると去年の興行収入トップはやっぱり「コクリコ坂から」44億6千万だったそうです。それでもジブリ作品では最も低い興収で、邦画トップの興収が50億円を下回ったのは11年ぶりのことだそうです。これは作品の出来とかいうよりやっぱり「映画でも・・・」という世相が言える年ではなかったのではないかと思います。現にクリント・イーストウッド監督、マット・デイモン主演の「ヒア アフター」は、震災前の2月に公開された作品ですが、大津波のシーンがあるとして3月15日には上映が中止されています。ちなみに洋画のトップはこれまたやっぱり。「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」

  Img_raji 車を出した後忘れ物に気づいて取りに引き返して気がつきました。今まで車が止まっていた跡に水滴が落ちてます。「ん!なんだろう?よく見ると緑がかってます」クーラントがもれてるようです。早速エンジンルーム空けてラジエターサブタンク。キャップ。そしてゴムホース。ベルトに青い色。サブタンクを見る限りそれほど量は減ってません。でも漏れているのは確か。知らなければなんでもないのですがそれ以後走っていても気になります。止まっても少し移動しては道路を見ます。念のためにと途中でセンターで「水漏れ止め」買って入れてます。これで止まってくれればいいのですが・・・
   週末、クラス会で「ふぐ」のフルコースをいただいてきました。クラス会と言ってもせいぜい10人ほどマンネリ化を嫌ってか毎回趣向を凝らしているのが分かります。今回はメンバーの一人の家でパーテイー形式でした。場所は芦屋。駅から10分ほど。完成な住宅街の1軒家。今は夫婦2人暮らしだそうですが趣味の良さがそこここに見られます。特に気に入ったのはトイレ。先々のことを考えてのことだと思いますがバリアフリーで洗面とセットになってます。ドアも大きくスライドして車椅子のままで入れて便座もオートで開閉するようになってます。一見贅沢なようにみえますがこれは大事なポイント。晩年、下半身が麻痺していても一人で用を足せます。このあたりはマンションの限られたスペースではなかなかむつかしい。一時期(今でもそういう傾向はあります)リビングやダイニングの広さを競い、豪華にという風潮がありましたがあんなものはいくらでもリニュアル出来ますし普段の暮らしに大して意味がない。設計に関わった(多分、ご主人)のセンスに感心しました。あとは帰り道の風冷たくが寒かったこと。こういうのを「六甲おろし」っていうのかな?

   先日milkyshibaさんから借りたPink Martini&Saori Yuki のCD。請求書作成のBGMで聞いてます。オリジナルは「夜明けのスキャット」ぐらいで後は1970年代にヒットしたいしだあゆみのブルーライトヨコハマや黛ジュンの夕月等の曲をカヴァー。それとボサノバの定番。マシュケナダ。それと昔、PPMでヒットしたパフ。どちらも日本語の歌詞で歌っています。マシュケナダはセルジオメンデスが女性コーラスと歌ってヒットしたのが記憶に残ってますが当時の印象としては「このオッサン下手くそなのになんでこんなに人気があるのかな?」という感じ。パフもフォーク全盛の頃、ピーターポール&マリーが軽く流すように歌ってました。彼女が歌うとその頃の軽快なイメージとは随分違います。どちらかというと童謡のうまいオバサンが子供に歌って聞かせているような感じ。ただ、いずれにしても歌唱力はすごい。どんな歌も自分の曲にしてしまう。「夕月」は当時の本家より上だと思います。こういうのって当初歌ってた人はどんな風に思うのかな?やっぱり嫌だろうか?それとも忘れられていたのがまた世に出るのを喜ぶのだろうか?そのうちまたデジタルプレーヤーに入れて聞きます。

  全国的にこの冬一番の寒気が言われてますが大阪も昨日からかなり冷え込んでます。この時期それほど売れているわけでもないので今日は「早仕舞い」というよりやっぱり「歳」なんでしょうか気力が萎えて「はよ帰ってあったかいものでも食べて寝るか」というのが正直な心境。経理士さんが来るというのもあって4時過ぎには帰宅。顧問料払って夕刊に目を通すと「二宮金次郎像受難」の文字。どこかでまたいたずらが流行ってるのかと思って見ると老朽化で撤去する学校が増えているのだそうです。だったら補修すればいいと思うのですが教育委員会や父兄から「戦時教育の名残」とか「歩いて本を読むのは危険」とか教諭からも「子供が働くというのはどうも・・・」という意見があり、それならいっそ撤去しようということになるそうです。どの意見も「いまどきなんだなぁ」と思います。肝心の子供たちの考えを聞いてみたい。そういえば私が通った小学校にもあったように思いますが、そんなふうに考えたことはありませんでした。ただ、何かの折に質素倹約。勤勉努力という絡みで二宮尊徳を知り「ああそういう人なんだ」と思ったぐらい。教育関係者や父兄がいうほど今どきの子供たちがバカだとも思いませんし本来銅像なんてそういうものだと思います。それより風景として今まであったものが無くなるほうが淋しい。これも「歳」が言わせるのかな?