仕事辞めるに当たって「あんたが来ないのならウチもやめる。最終でいいから自販機引き上げて欲しい」そういうお得意さんばかりでもありません。百数十台の機械は引き継いでオペレートしてもらいます。その人選(この場合は引き受け手の企業)は一部は私が懇意にしていただいてる業者さん。でもそんなに面識のある人ばかりでもありません。大半はメーカーの営業に頼んで探してもらいます。今日も一社紹介するといって営業と一緒に来社。おおまかなところは先に言ってありますので顔つなぎみたいな感じ。営業がお互いをを紹介。名刺の交換。お得意さんそれぞれに癖がありますので特に注意するようなことを伝えます。後日一緒に挨拶に回るという段取りを決めて終了なのですがその間、営業の笑顔はずっと「引き受け手」のほうに向いています。パーセンテージで言うなら私が1で後の99 は相手方。帰り際の挨拶もありません。少しでも実績を落としたくない。だから辞めていく人間よりこれから増やしていく人間に媚を売りたい。数日後引渡しが済むと私との関係は赤の他人。営業マンとしては当然の行為。よくサラリーマンで退職後もそれまでの肩書きを忘れられない人に出会います。見苦しい思いもします。割り切っているつもりでも実際自分がそういう立場に立つと寂しい。
夕方同じように引き継いでもらった同業者から電話「忙しい?この前譲り受けたお得意さん。順調に引き継いでます。時間があったらコーヒーおごるから寄ってくれる?」立ち寄ってみると「今月末まで様子見て、続いて取引してくれそうなら僅かやけどお礼しようと考えてます。それまで引越しせんといて」「お礼なんてもらおうと思ってません。引き継いでくれるだけで十分感謝してます」「いや。それでは私の気が済まん。家内とも言うてるのやけど仕事辞めても時々こっちにも顔見せて欲しい。電話番号変わったら教えて。あんたは私の数少ない同志なんやから」。「同志」。時代掛かった言葉にちょっと違和感を覚えましたが言われてみるとそうだったのかもしれません。お互い目標に向かってなんとかして売り上げを伸ばそうと試行錯誤。情報交換。そうやってこつこつと積み上げてきた結果が今にある。先のメーカーの営業マンのこともあって平時にはあまり考えなかったことが「転換期」にはよく見えてきます。
そういえば神戸の震災の時、支給されたおにぎりの配分で離婚に至った夫婦がいたといいます。「食い物の恨みは恐ろしい」といいますがあれもそれまで見えなかった、あるいは見ようとしなかった心のうちを見せられた。大きな「転換期」だったのでしょう。
