手話サークルに参加してきました。このところ3週続けて行ってます。普段はせいぜい月1~2ぐらいですから私にすれば精勤です。3週前の帰り道「一杯やっていきません?」と誘われ、初めて飲みに行ったのですがその時の勘定を「自分が誘ったのだから」と持ってもらったのがずっと頭に残ってたから。先方も私と同じくそう頻繁に出席しているようではないので両者が会うのはなかなか難しい。昨日ようやく目的を果たせました。これで安眠できます(笑)。仕事してた頃は取引先関係とか誘ったのは自分の方だからとか年長だからとかいろいろな理由付けで奢ったり奢られたりが多く、それなりに使い分けていたので抵抗も無かったのですが。フリーになってからはどうもいけません。始終顔をつき合わせているのならともかくそうでなければいちいち覚えておくのも面倒。割り勘がいい。最近になって親子ほど歳の離れた相手とも割り勘で勘定を済ませるようになりました。
そのサークルで今度のレクがらみか、ぶどう狩りの手話。ぶどうの房をはさみで切ります。この時、房の上の方に見当をつけてはさみを入れるのですがこれまでなんの不思議も感じなかったこの手話。もう一方の手はぶどうの手話のままでしたがぶどうが落ちないように房の下になる部分を支えるしぐさを付け加える。言われてみれば当然。切るだけならぶどうはみんな地べたに落ちてつぶれてしまう。手をかざす。それだけのことが「生きた手話」になる。言うまでも無く手話って聾者の言語。ただコミュニケーションツールとして定着したのはごく最近。注目されるようになったのは「蛇の目寿司事件」あたりからと言われてます。語彙も少ない。その中でどうして的確に相手に伝えるか?工夫が要ります。まして世界でもっとも難しい言語といわれる日本語。英語のyouが君、あなた、お宅。そちら様、お前、てめえ・・・と使い分けする言語です。もちろん文字の羅列だけでもある程度意味は通じます。でもそれは「生きた言語」ではない。つくづくいい講師さんに当たったと思います。終了前、役員の人が「今年も社会福祉大会のシンポに出席します。簡単な手話でもいいから参加しませんか?」とメンバーに呼びかけます。「たとえば開催前にマナーモードにしてくださいなんて注意をするだけでも・・・」隣席の人が聞きます「オジンさんマナーモードって手話どうするんでしたっけ?」「聾者にマナーモード?無いと思うけどあっても覚える必要ないでしょう?」