3か月の罰ゲームを終了した途端、弛みましたねキョロキョロキョロキョロキョロキョロ

2週間も空けてしまいました

 

会長のネタはいましばらく続きますので

お付き合いいただければ幸いです

 

まだ荻窪に会社を立ち上げる前

父と母は紆余曲折を乗り越えて結婚し

数々の出稼ぎを共にした後、父が夢見た通り
神奈川県の海の見える所、根府川に落ち着きました
『落ち着く』と言っても、貧乏だった二人は

何かの縁で知り合いになった海沿いのみかん農家の人の好意で

海が見える段々になったみかん畑の中にある
みかんの籠などの用具入れに使っている掘っ建て小屋を

ただで貸してもらう事になりました

その掘っ建て小屋、段々になっている擁壁部分が壁の一面になっていた為
残りの3面をベニアで囲っただけの本当に粗末な小屋だったそうですガーンガーンガーン
父はそのドアも無かった小屋に、ベニアで上に開く小さなドアを作りました
父と母は取っ手の代わりに紐を付けてそれを引くことで開閉するそのドアを

『パタリ式ドア』と命名していました笑い泣き笑い泣き笑い泣き
海側から吹き上げてくる風は強く、その冬の寒さは東北出身の二人にさえ
「何時凍死してもおかしくなかった」と言わしめるほどでしたガーンガーンガーン

貧乏だった二人は、酷い時にはあんぱん一つを二つに割って
それを2、3日かけて食べて飢えをしのぎました

それでも食べるものがあっただけマシだった

っと父は言っていましたびっくりびっくりびっくり

父は土方で、母は飯炊きで、それこそ朝から晩まで働きました
お昼の弁当の時間に出稼ぎ先の会社が出してくれるお茶も

一度それを飲むくせを付けると次もまたお茶が飲みたくなるので
親父はそういう贅沢を戒めるために

会社がただで振る舞ってくれるお茶にさえ手を出さず、水を飲み続けましたびっくりびっくりびっくり

 

当時の土方の仕事は、重機が発達していなかったせいか人手がかかり、
父も仕事には困らなかった様でした
元々地元の同級生の間でも、父は頭も良くて腕っぷし(つまりは喧嘩)

も強いっと知られていたので、普段は出稼ぎに出たがらない人たちも父の所なら、と
たかが親方なのに、総勢で、100人近くの人を集めた事もあるそうですびっくりびっくりびっくり

 

そういえばここで、社長がよく覚えている会長の話を一つ

父は神奈川県に引っ越した後も出稼ぎの人を集めに山形まで行っていました

ある時山形に行く電車の中でトイレに行って下着をおろそうと屈んだところ

腹巻に挟んであった100万円が滑り落ちましたガーンガーンガーン

 

昔の電車を知っている方は分かると思いますが

当時のトイレは便器の形はしていてもその中はただの穴

穴からは線路が見えていました

 

アッと思った時には既に遅し

100万もの大金はバラバラとトイレの穴に吸い込まれて行きました

当時の100万って、、、今の100万の何倍もの価値があったはずですよね

 

とっさに父は顔をあげ、窓に流れていく景色の中から

一番先に見えた電柱に書かれていた番号を覚えたそうです

慌ててトイレから出ると、次の駅で空いたドアから転げ落ちるように飛び出し

急いで線路に降りると一目散にその番号の電柱めがけて走り出しました

 

結局すべてを回収することは出来なかったんだよ

と悔しそうに社長に話したそうですショボーンショボーンショボーン

 

それにしても腹巻に100万挟んで出かけるとか、、、ガーンガーンガーン

それよりもなによりもとっさに顔をあげて最寄りの電柱の番号を覚えるて、、、

頭のいい人だったのは家族一同解りきってはいたんですが

その機転、、、びっくりびっくりびっくり

 

それが秋山組をあそこまで大きくしたんでしょうね

あっぱれ会長!!グーグーグー