ずっとカウンセリングに通ってくれているご相談者さん、
お母様が最後の時間を迎えようとしている、
と連絡をくれた。
対人関係や、仕事のことや、その他いろいろ
もつれにもつれた心の糸をほどくのに
けっこう時間がかかったけれど、
自分と向き合うことをあきらめなかったAさん。
Aさんとやり取りしてて、
私は自分の母親の最後の日を思い出した。
こんにちは。
豊かさと繁栄をお手伝いします。
心理カウンセラー
心屋認定インストラクター
エンターテイメントプロデューサー
竹内やすこです。
自分とも、親との関係もこじらせていた10年前の私。
晩年の母親とはほとんど連絡をとらなくなっていた中で入った、救急搬送の知らせ。
急いでかけつけた大阪の病院のベッドに寝る母親は小さく、私が知らないうちにおばあさんになっていた。
それから1ヶ月間、東京から大阪の病院に通った。
あっちの世界とこっちの世界を行ったり来たりしていた母親は、昔の時代に戻ったり、これまで聞いたことのないような言動をしたりした。
「感じること」から無意識で逃げていた私は、
ただ目の前の出来事を淡々と受け止めていた。
最後の日、病院に泊まったのは私で、
もう話もできなくなった母親に、言葉を伝えようとしていた。
「お母さん、産んでくれてありがとう」
なかなか言えなかったけど、2人だけの病室でがんばって絞り出した。
母親はわかってるのかわかってないのか、
それでも私をじっと見て、目を見開いていた。
「お母さん、愛してるよ」
がんばって言おうとしたけど、なかなか言えなかった。
部屋には誰もいないし、
母親も聞こえてるのか起きてるのかわからない、目を閉じたままだったけど、私は言えなかった。
(そのころは心屋も、魔法の言葉も知らなかった」
何度も何度も言おうとした。
母親の残された時間がもうないことは明らかだった。
ちゃんと伝えないと自分が後悔する、
そう思って、言わなきゃ、言わなきゃ、とがんばったけど、
言葉が声になって出てこなかった。
やっと口から出てきた言葉は、
「私も、お父さんも、
お母さんのこと、大切に思ってるよ」
だった。
そのときの自分を重ね合わせて、Aさんに、
お母さんが生きているうちに、
大事なことは言葉で伝えてねとメッセージを送った。
死んじゃった後では遅いから。
私みたいに。
遅いのか?
死んだ後では、ほんとに手遅れかな。
って思いがふと出てきた。
帰り道、誰もいない住宅街を歩きながら、
「お母さん、大好き」
そう声に出してつぶやいてみた。
心がふわっと、じーんとなった。
10年経って、やっと言えた。
私は、お母さんが大好きだった。
もうイヤだ、会いたくない、ほっといてほしい、もう知らん、勝手にしろ、どうせ、もういい、
いろんなネガティブなことが行き交う関係性になってしまったりもしたけど、
本質は、私はお母さんのことが好きだったんだ。
好きだという気持ちを、
「自分の思い通りに」受け取ってもらえなくて、
「自分の思うように」返してもらえなくて、
拗ねてたけど
子どものころは、お父さんのこともお母さんのことも大好きだった。
いつもお父さんとお母さんにくっついて歩いてた。
親がつくってくれた家と家族という安全地帯の中で、
なわとびをマイクにしてノーテンキに何かを歌っている
小さなやっこが浮かんできた。
Aさんは、穏やかにお母様と最後の時間をすごしているそうだ。
嬉しかったのは、Aさんが、
「竹内さんのおかげで、
母ともたくさん話ができたし、
私やっぱり愛されてたんだ、
私お母さんのことが好きだったんだって、
思い出せた」
と言ってくれたこと。
よかった。
私も母親が生きてるうちに向き合えればよかったなと、
Aさんのことを、ちょっと羨ましく思っている。
相談も、聞くだけでも。
オープンカウンセリング
「悩んでいる人を一人にしない」がコンセプト。
詳しくは心屋サイトを。
1ヶ月セッションで、心の奥の自分に会いにいきましょう
Twitter(@yaccocoro)
やっこ@エンタメP/心理カウンセラー@yaccocoroやっぱり豊かさも愛もそこにある。 ただ自分が見つけられなかっただけ。
2021年11月28日 07:45