facebookが拓いた、天国への架け橋
アメリカでは、たぶん学生の90%くらいは、facebook(アメリカのmixi)をやっています。
facebookするという動詞が創られたほど。
ところで、最近耳にしたfacebookの思わぬ活用法。
UF(University of Florida)の近くでも、やはり交通事故が起こる。
原付で事故ったとか、ランニングしてた子がはねられたとか、結構多い。
学生の街だけに、その被害者も学生。
UFに通っている息子・娘が交通事故で亡くなったとなると、その親の心境も穏やかではない。
今朝元気にしゃべってたのに、その夜には息をひきとっているということが、実際に起こるのだ。
facebookは、かなり活発で、相手のホームページの掲示板(wallと呼ばれる)に書き込んだり、書き込まれたりということが、頻繁に行われている。そしてそれはオープンなので、誰が誰に何を書き込んだというのを視聴できる。ある意味、プライバシーも何もあったもんじゃないけど、それが宝物になる場合がある。
ある日、仲のいい友達が事故を起こして、病院に担ぎ込まれました。
その友達には何としても助かってもらいたい。そこで、facebookの中で彼の友達が集まって、彼が良くなるようにと願うコミュニティができる。そんな願いも届かず、彼は亡くなってしまう。そして、そのコミュニティは彼を忘れないようにと願うコミュニティに変わる。
その一方で、彼の掲示板にはいつものように友達から「最近どうしてるの?」とか、近況を伝える書き込みが絶えない。彼のfacebookのアカウントは残ったままなので、友達や兄弟からの書き込みによって更新されてゆく。あたかも、彼がまだ生きているかのように。そんな状況を知った親は、その彼のホームページを見るためだけに、facebookに登録したという。友達によって、彼はfacebookの中で生かされ、親類の心をも癒す。
すごいと思う。
亡くなった本人もうれしいと思う。
今までにはなかった、生と死の旋律。
フェイスブックでは、本人がアップロードした写真や、友達がアップロードした彼の写真を見れるので、顔を見たいと思えば色んな顔がすぐ見れるのだ。友達と笑っている写真や、どっか旅行に出かけた時の写真。
それらは永遠の生命が吹き込まれたよう。
http://www.facebook.com/index.php
Eメールを登録すれば、誰でも参加できます