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ヤクザの子供に生まれて・・・その後の波瀾万丈人生

生まれてから人生の1/3を過ごしてきたと思います。私は、ヤクザの子供に生まれ、その後のトラブル、そして、結婚、旦那の実家の会社の倒産と色々あり、ずっと心に秘めてきた思いを書いて、気持ちの整理を付けたいと思い、ブログを立ち上げました。

私と妹は、小さい頃、もう物心ついた頃から、事務所で遊んでいました。


事務所って行った事ない人が多いと思いますが、大きくなってから気づきましたが、独特の雰囲気あります。


壁に○○組なんて書いてある提灯が何個もあったり、○○組と書いてある、木彫りの大きな飾り物もありました。刀なんかも、置いてありました。←もちろん父の名前


そこで、ヤクザの父の弟分と言われる方達と常に遊んでいました。


そこに、事務所当番の人が常にいる状態で、来客なんかも、基本的にそこに来ていて、私は小さい頃から、そこにいて、色々なヤクザの方を見てきました。小さい子って、世界が分からないから、それが当たり前の状況になるんです。

だから、怖いなんてのも、あまり分からない。

父とかが、怒鳴ったりしているのを見ても、それが当たり前。思い返してみると、ガタガタ震えてたり(何かあったんだと思いますが)する人がいて、そこの間に割り込んで「どうしたの」なんて、入っていった事もあります。(もちろん父の弟分の人に、こっちおいでって、連れ出されましたけど・・・)


その為か、今だに私は、怖い人(ヤクザ系)の区別が分かりません。一般人として、生きてから「あの人は怖い人なんだから」なんて、周りに言われても、全然分からないのです。だから、普通に話しかけたりされると、普通に対応してしまい、周りが冷や冷や見ているなんて事もザラなんです。人を見かけで判断しないという、良い点もありますが、怖いと言われる人にも、くってかかってしまう事もあります。

きっと、私がヤクザの人を見てきた経験から、人を見るベースが崩れているのだと思います。そして、ヤクザの子供の血も多少なりと、引いてしまっているのでしょう・・・


この気の強さは、多分、感性が少し麻痺してるんですね。


これは、今現在私の治したい感性です。



物心、付いた時から、父には刺青がありました。

小学生までは、良くわからず、「お父さん、絵が描いてて、なんかすごいね」なんて、訳も分からず、いつも触っていました。


父の友人や、父の下についていた人にも、皆に入っていて(腕とか足まで入ってる人も多くいました)「皆絵が違うんだね」とか「お兄ちゃんの見せてよ」なんて、なにも知らず、無邪気にはしゃいでた恥ずかしい記憶もあります。


私が、2歳の時に、入れたそうです。


当初、全身に入れる予定だったとの事で、母が「子供が大きくなってから、大変な思いをするから辞めてほしい」と何度も頼んだそうで、背中だけで、思い留まってくれたとの事でした。


母の選択は正しかったです。大きくなって、意味が分かるようになってからは、見るのも嫌でした。


父が亡くなった今は、もう思い出として残っていますが、中学生頃は、本当嫌でした。


けど、刺青って、体に良くないですよ。だって、C型肝炎になってましたし、少なからず、体に良くないですよ。

なんで、体壊してまで、刺青なんて彫るのか、不思議でなりません。


小さい頃、父と皆で20人位で、良く海とか泊まりで行きましたが、私達の回りから、皆居なくなるんです。だから、いつも混んでいても、私達の周りだけ、人が寄ってこない。しかも、私は、組長の子供という立場で、若い衆と呼ばれる人達から、あきらかにチヤホヤされているから、私が妹と海で遊んでいて、大人の方と接触されるだけで、「すいません」とかって言われる始末・・・まぁ、基本、皆さん、近づいてきませんでしたけど・・・

しかも、良く、若い衆と言われる人達が、彼女とか連れて一緒に行くんですけど、思い返してみれば、彼女達は得意顔でした。なんか、優越感に浸っていたんでしょうね。私は、絶対恥ずかしくて、一生、彼女達の気持ちは、良く分かりませんね。やっぱり、普通が一番です。


色々、どうして周りの人達がそんなに気を使うのか、不思議でしたが、刺青入っていれば、ヤクザの主張ですよね。


本当に父が、背中だけで、良かったと思います。


今、刺青をしようとしてる方、体壊しますよ。しかも、温泉なんかも入れませんし、人生狭くなります。子供が生まれたら、のちのち嫌な思いもすると思います。


少し、思いとどまってくれたら、幸いですね。



父が出所してすぐから、覚せい剤の密売を再開したそうです。


なかなか、足は洗えないのと、甘い蜜を知ってしまい、抜け出せなくなるのでしょうね。


父は、亡くなるまで、生涯ヤクザの組長という家業にいました。


そしてまた、逮捕。今度は覚せい剤の密売のトップとの事で捕まったそうです。この時は、あまり覚せい剤を売っている人自体、少なく、父やってる組織が一番大きかったとの事で、新聞や雑誌にも、載ったそうです。


昔から良く、父の実家に行くと、何故か私達家族が煙たがられているのを、幼心で感じていました。他の親戚の子供には、優しく接する父の両親。私や妹には、とても冷たく接しられた事を良く覚えています。父の両親や、兄弟の一部は父自体の家業を恥じていたんだと思います。それは、新聞や雑誌に載ったりして、父の実家も田舎なので、噂はすぐ広まってしまって、大変な思いもしたんだと思いますが、私自身、好き好んで生まれてきた訳では、ありません。しかし、子供というだけで、冷たく当たられる経験をしました。


そして、父が逮捕されている間、母の二人目の妊娠が分かります。


父が不在の中、どうしようも無く、一旦実家に帰って、次女を出産しました。


そして、父が出所してきて、突然母を田舎まで、迎えに来たそうです。


東京に帰るのかと思いきや、連れて行かれたのが、父の実家のある県。

関東ですが、田舎だったそうで(内情がばれそうなので、詳細は書けません)当初母は、東京に帰るのかと思いきや、田舎に連れてこられて、なぜか東京の暮らしが忘れられず、毎日泣いて暮らしたそうです。


ここまでが、母に聞いている話です。


これから、私の幼少時代からを書いていきたいです。


文章下手ですいません。

もっと、聞いている事もあるのですが、時々思い出して書くかも知れませんが、とりあえず完結にまとめてみました。



じょじょに狂っていく父。


喧嘩や、事件も起こしていってしまう事も多くなり・・・


内容は、詳しく書けませんが、ついに、本部まで乗り込みを、してしまったそう。


また、詳しくは書けませんが、父がいた組織は、ヤクザの世界では、業界3位に入る大きな組織。


乗り込みをした理由も本部の方が理解してくれた事、父自体、地位は上の方だった事もあり、

事無きを得た様でしたが・・・


その後、ねずみこう販売の仕事で、逮捕されてしまった様です。


保釈金を払って出てくるまでに、半年掛かったと母から聞きました。


一度、ここで覚せい剤とは、切れたます。しかし、また手を出してしまうのです・・・



東京から、帰った母と私を待っていた父。

その間に覚せい剤に、少しづつ手を染め始めていた父。


帰宅後、まもなくは、母は「何かがおかしい」位にしか、考えなかったそうですが・・・


少しづつ、言動がおかしくなっていったそうで、ある日、母と赤ちゃんの私を連れて行きたい所があると、車で連れ出されたそうです。


組事務所です。そこには、15人程度の男性と、母を睨み付けている、女性が1人。


ここにいたのが、母と付き合う前から付き合っていたという彼女。

父は、その女性と別れたかったらしく、結婚した事実を証明したくて、どうやら母を連れて行ったらしいのですが・・・


突然、女性がナイフを持って、母に襲いかがってきたそうです。


母は、私を連れていて、訳も分からず、呆然としてしまった所、突然父が女性を引っ張りだし、若い衆に言いつけ、袋にしてしまったとの事。


母は、怖くて訳が分からず、呆然と立ちすくしてしまった様です。


父の部下ならぬ、若い衆の方々も、「あにきは、女に手を出すのは、初めてだし、ましてや、姉さんと大切にしてるから、普通なら、姉さんを事務所に連れてくる人じゃない」みたいになって、母が泣きながら聞いた所、父が「俺はカタギじゃないんだ」「ヤクザって分かる?」みたいに、話したそうです。


その後、母も色々状況が分かるようになり、父の家業は、じょじょに、組関係者も、お家に呼ぶようになったそうで、話を聞いている内に、どんどん分かってきたそうです。


なんで、別れなかったのと聞いた所、「おまえがもういたから、我慢したんだよ」と言われましたが、父は母や、私達には、とても優しかったので、たぶん、母ももう離れられなかったんだと思います。


母は、その頃、色々覚悟したのと言っていました。


で、これからが、覚せい剤による、幻覚症状がどんどんひどくなっていきます。