ヤクザの子供に生まれて・・・その後の波瀾万丈人生

ヤクザの子供に生まれて・・・その後の波瀾万丈人生

生まれてから人生の1/3を過ごしてきたと思います。私は、ヤクザの子供に生まれ、その後のトラブル、そして、結婚、旦那の実家の会社の倒産と色々あり、ずっと心に秘めてきた思いを書いて、気持ちの整理を付けたいと思い、ブログを立ち上げました。

私は、きっと他の人より波瀾万丈な人生を過ごしていると思います。

35年前、ヤクザの組長の子供に生まれました。父は前科50犯以上の犯罪歴のある人でした。


子供は生まれてくる場所を選べません。私もなりたくて、ヤクザの子供に生まれてきた訳ではないのです。



今では、結婚して姓も変わり、また生まれ育った所では無い所に住んでいるので、一般人として生きています。


しかし、地元に帰れば、やはり私はヤクザの組長の娘であり、そして、小さな頃から回りにいた、ヤクザの人とは、知り合いです。


私は運よく、私自身を理解してくれる、全てを知って結婚してくれた旦那様がいますが、私の心の整理を付ける為、今までの色々な出来事を覚えている範囲で載せていきたいです。


ヤクザの家業に付いてるから、人間が駄目という事ではないでしょうが(人間的には、とても良い人も沢山います)、やはり、仕事内容や、一部のチンピラと呼ばれる方々の普段の生活態度等を考えると、否定される方も数多くいると理解しています。


私自身、人間的な性格等は別にした、あまり好きでは無いのも事実です。


しかし、そこに生まれた人には、罪は無いと思います。


今現代社会、差別やうわさが多く見られます。

例えば、犯罪を起こしてしまった親がいる家庭の子供などもいますが、子供に罪は無いのですが、周りはそうは見ません。私自身、内容は違うにしろ、境遇している立場にいるので、そういった子供達の気持ちは痛い程、分かりますが、理解してくれない人がほとんどだと思います。

しろい目で回りから見られ、どんどん罪の無い子供達が落ちていかなくてはならないのが、現実です。


色々ありますが、これから、色々載せていきたいです。


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明けましておめでとうございます。


前回のブログを書いてから、何故か落ち込んでしまい、ブログを書く気になれなくなり、ずっと放置していました。


何か色々思い出して、一時辞めておりましたが、今日は書く気になったので・・・。


最近、世間では、拳銃等の発砲事件等が良くありますね。

本当、物騒な世の中です。


私がまだ、小学生の低学年の頃の話ですが、小さい頃から妹と二人で夜は留守番をしていたので、夜になると家中を見て回ったものです。


ある日、母の化粧台の扉があるのですが、そこを開けた時の事です。


記憶には、白い布の様な物に包まれていたと思いますが、それがそこにありました。


何だろうと思い、手に取ってみました。それを持った瞬間、すごく重かった記憶が残っています。そして、その包みを開けると、紙袋の様な物に包まれていて、私はそれも開けてみました。


そこにあった物は、実弾の拳銃です。玉も付いていました。


何も分からないはずなのに、何故か見てはいけない物を見てしまった気になりました。そして、それを元に戻しました。

今考えれば、引き金を引かなくて良かった。もう大事件でしたよ。本当。

何であんな所にあったのか、今でも不思議です。

数日後、気になって覗いたときには、もう無くなっていました。


母に、大きくなってから尋ねた所、母も知らなかったとの事でしたので、多分父が持って帰ってきて、一時保管してたんでしょうね。本当、怖いですよ。


ヤクザの方って、どうやって手に入るんだか、拳銃を手に入れるなんて、きっと簡単なんでしょうね。覚せい剤だって、何だって手に入るんだから、拳銃なんて、本当簡単に手に入るんですよ。一般人の私には考えられませんね。以前もレアな玩具なども、簡単に手に入ったようで、小さい時は、色々貰えましたが、小さい頃何も分からず、ただ喜んでいましたが、本当に今考えると、それをどうやって手に入れてたんだか、不思議でならない気持ちと共に、喜んでいた自分も恥ずかしいです。大きくなってからだと、一時タマゴッチがブームになった時も(全く手に入らなかったピーク時)、「売ったら」なんて言って、父の弟分と呼ばれる方に何十個も貰った事がありました。初めは返したのですが、「使って下さい」と置いて帰ってしまいました。私は要らないと言って、母が近所の人や、友人にあげました。勿体無いと思われる方もいるでしょうが、私まで、そういう事に手を染めるのは嫌だったからです。


私が中学生になった時に、拳銃を使って事件がおこりました。そのお話は、またずーっと後に・・・。




母がお店に出るようになり、初めは私達が寝てから出勤していました。


妹が幼稚園の年中、私が小学生2年生の時、初めて母が六時半位だったと思いますが、お店に早く出るようになりました。


初日の事を良く覚えています。


母が出勤して、妹と二人。初めはすごく二人で騒いでいて、楽しかったのを覚えています。


夜九時頃、寝ようとした時、布団に二人で入った私達。

すると妹がぐずりはじめてしまいました。


私は小さいながら、お姉ちゃんだから、我慢しなきゃと思い、妹をなだめていました。

一時間くらい、妹がお母さんと泣いていました。

それを見ていたら、私まで悲しくなってしまい、「おねいちゃんだって寂しいんだよ。我慢してるんだから」と大泣きしてしまいました。

それを見た妹は泣き止み、二人で寝てしまいました。


その次の日から母は、毎日早く出勤しました。


そして、妹は悲しかっただろうに、もう泣くことはありませんでした。


父は小さい頃から、家に居なかったので、私と妹はいつも家に二人でした。すごく寂しかった記憶があります。


ただ、母は休みの日曜日になるといつも一緒に居てくれたり、昼間もいつも一緒に居てくれました。多分精一杯、頑張ってくれていたと思います。


でも、父は母が早く出勤する頃から、全てのお店を母に任せる様になり、父はいつも飲み屋に行ったり、遊びに行ったり、色々な付き合いだと、自分を優先させ、家をかえりみない生活でした。


父は、事務所に泊まる事も多かったし、不倫もしていました。

なので、家に居る事は、週2回位だったと思います。

夜、母が不在の時間は、家に居る事は、月1回無かったと思います。

なので、いつも二人でした。


本当に寂しかった記憶があります。

留守番初日は、今でも忘れられない記憶です。


きっと、家庭の事情で子供に寂しい思いをさせてしまっているという方も多いと思います。

けど、休みの日には、愛してあげてください。

そうすれば、きっと大人になった時、理解出きる歳になった時、何かが違ってくるはずです

フィリピンパブをやっていたんですが、もちろん全員不法滞在なんです。


で、フィリピンの方が働いていた理由は、皆さんもちろん仕送りですよね。


今は当たり前だと思いますが、お金で女の子を買うという事が田舎では、まだ少なかった時代だったらしいです。


一晩○万円で、男性がお持ち帰りするらしいのですが、初めに料金を払うシステムだったらしく、父が6割、女の子に4割という形で経営してたらしいです。


東京とかの他店に比べても、お金が稼げるという理由で、女の子がどんどん集まってきたそうです。友達の友達という感じでどんどん働きたいというフィリピン人が多かったとの事でした。


結構女の子が集まったらしく、儲かったらしいのですが、他の人の告発で父の逮捕。


営業停止も出て、女の子は全員捕まって、国への強制送還されたそうです。


けど、8年はやっていたと思います。私が小学校の中位まで、女の子いましたもん。

小さい頃、学校休みの前の日とかに、たまーに、父がお店に連れて行ってくれて、遊んでた(当時お店にインベーダーゲームがあり、それが楽しみで行っていた)記憶があります。


けど、1~2年後、また同じ女性とかが働きたいって戻って来たんです。

どうやって来日したんですかね?良く分かりませんが、不法滞在して、戻ってくるってすごい根性ですよね。体を売らなくてはいけなくても、やはり家の事情とか、お金の理由でまた、戻ってくるんです。すごい精神力だと、今思うと関心します。



この事については、普通に考えれば、もちろん悪い事だと思いますが、正直、彼女達の事を考えたら、向こうでの生活を考えたり、もっとお金を稼ぎたいという、経済的な理由もあり、自身も納得して来日している訳なので、本当に悪いのかは分かりません。

むしろ納得もしてまた同じ所に働きに来ている訳だし、仕方無いのでは、他店よりお金が儲かったとの事だったので、彼女達の背負った物を考えるとむしろ良いのかなぁー・・・とも考えてしまう自分も居ますが、まぁ、意見は人それぞれでしょうね。


父は、逮捕後すぐ釈放され、数回繰り返し、結局フィリピンパブの方は、警察にも目をつけられ、閉店したと言っていました。


まぁ、私が中学生前には辞めてくれたので(色々自分の置かれた環境を考える前だったので)、それは、良かったです。

引越しをして、父はスナック・フィリピンパプを開業したそうで、初めは母は専業主婦だったらしいのですが・・・

お店を雇われママに任せていたそうです。

しかし、やっていく内に計算が合わなくなり・・・ピンハネしてたんです。


で、母は一大決心したそう。私がお店をやろうって、思ったとの事でした。


父は、お店の他にも色々仕事をしていたので、母がお店を仕切り始めました。


母は、ここから性格が変わっていったそうです。

強くなりました。


これまでは、とても弱かった母がどんどんお金の魅力に取り込まれていく・・・


ただ、唯一子供として生まれて救いだったのは、母は大の男性潔癖症。大体、男性の相手は、出来ないのです。

なので、男性の機嫌取りなんてもっての他。

スナックだから、男性に若干は触られたりするじゃないですか。

でも、我慢しきれず、いつも喧嘩・・・酒を頭から浴びせたり、ビール瓶で相手の頭を殴ってしまったなんて事もあったそうです。

だって、シラフなんです。母は、お酒が一滴も飲めません。


昔、お店を始める前、父と喧嘩して、酒を一口飲んで、急性アルコール中毒で救急車で運ばれたほど、お酒が駄目。でも、気が強い。しかも、ヤクザの妻というだけあり、母のわがままが通ってしまったらしく、かなり怖い存在になっていました。

なので、基本的に女の子に付かせていて、母は見ているだけという感じでした。


この当時は、地元でスナックをやっている所が無かったらしく、連日満席だったらしいです。しかも、父の機嫌取りをする人などが、連日来たそうです。


私が小学1年生になるまで、母は、私達を寝かしつけ、その後せっせと自転車で通っていましたが、その後は7時からお店に出るようになりました。


私と妹はいつも夜二人きりでお留守番。ずいぶん寂しい思いもしました。


けど小学校に上がる前、このフィリピンパブが原因で、営業停止、父の逮捕など色々あった様です。


それは、また次回書いていきたいと思います。


父は地元も戻った理由は、自身の覚せい剤から離れる為だったと聞いてます。


東京にいても、また覚せい剤をしてしまう事、自分自身、ヤクザの組長という立場から、下の人に示しがつかない事などからの引越しの様でした。


数十人の弟分を引き連れ、事務所や住居を借りて(家賃は払ってたんだか分かりませんが・・・)住み始めたそうですが、中々田舎というのは、生活の面でも厳しい物で、一人一人と東京に戻る人も居たそうです。(父が本部と話をつけて、新しい事務所等を紹介して帰ったそうです)


ただ、父の事を尊敬してくれている人もいて、絶対父からは離れたくないと何人かは残った人と、新しく構成員となる人もどんどん増えていったとの事でした。


その中で、東京から来て残った人の中にkさんという方がいました。


小さな頃は、良く一緒に遊んでもらったりしてもらった人です。

kさんは、父が大好きで、事務所番やら、父の身の回りの世話役やら、構成員の育成などをやっていたそうで、父はかなり信頼して色々任せていたと聞きました。

引っ越して、3年位して少し様子がおかしい事に気づきました。父は覚せい剤に手を出してしまってるのだと思い、問いつめてみると・・・覚せい剤を使用していたそうです。


父は自分がやっていて大変な思いをした事から、怒って辞めさせましたが・・・

その頃kさんに、覚せい剤の売人の仕事を任せていた様で、それから2年程してkさんは、壊れてしまったそうです。奥さんに包丁を突きつけ刺してしまい(奥さんは一命を取り留めましたが)奥さんが家に逃げ込んできて、父が行ってみると、ボーっと突っ立っていた様です。その他にも、色々あったんだよと母に聞きましたが、それ以上は、母は話したくないらしく、これ以上の出来事は、父と母だけが知る過去になりました。


きっと、色々新天地で大変な思いもしたんだと思います。ストレスで、覚せい剤に手を染めてしまったのでしょう。父が好きという理由だけで頑張ってきた結果、精神病院に入院、今でも生きてはいますが、脳がやられてしまったので、もう普通の世界には戻れないと思います。


今でも、一時退院などをすると、家に電話があったり、家に来て、死んでしまって存在しないはずの父に訳の分からない事を話し、母がタクシーを呼んで、家に帰します。


現在、彼は東京の精神病院に入院していますが、それでも遠く離れた家に、どうやって来るのか、突然来たりします。しかし、kさんは、廃人になってしまいました。

本当にかわいそうです。


覚せい剤は、痩せるという理由や、興味本位、そして、かっこいいなどと訳の分からない理由から手を染めている人が今はとても多いです。何処でも手が入り、手を染めやすい現代。

しかし、廃人になってしまうという可能性があるのです。どんな理由であれ、色々な人を見てきた私から言えば、絶対手を出してはならないものだと思います。初めは、自分だけは、すぐ辞められると思う人も多いと聞きました。絶対、一度吸った甘い汁からは、離れられないのです。結局何かあると、手を出してしまうという結果になってしまい離れられないのです。現実は甘くないのです。


ちなみに、父は引っ越してきた事と、若い衆を食わせていかなくてはと思い、組長というトップの立場から責任感があった事もあり、私が3才以降、手は出していないそうです。きちんと縁をきる事が出来ました。


少しは、引っ越した結果が出せたのは、良かったと思います。しかし、その裏に、他の人の人生を狂わせてしまったという事実も残る結果だった事も確かだと思っています。