紡績工場は兵器製造に変わり女学生は勤労奉仕で動員されていた
今治の紡績工場は爆撃に遭い松山の女学生が亡くなった。
私達小学生は父母の着物を仕立て直したもんぺや服を着ていた。もともと地味な色だったが敵の機銃掃射に狙われないように灰色や黒っぽいもので可愛い色の物は無い。
布は籤に当たらねば配給切符がもらえない。
「虎に翼」のような明るいもんぺ姿ではなかった。
その頃の写真は無い。
現在のワンコ達の洋服は羨ましい
まりは手縫いや既製品、プレゼントなどの洋服をたくさん持っている。
戦時中に果たせなかった夢をやっと実現したのかな
まりはどう思っているのかな?