「have+目的語+原形」という文法事項についてごく当たり前のことを確認するための記事です。


意味は2つ。目的語に~させる、という使役の意味と、目的語に~してもらうという意味。


ここからは当たっているか不明な推論。


恐らくhave+目的語の段階で文型としては終了している。


だから「原形(不定詞)」の部分は目的語の意味内容を補う目的格補語。


それにより、目的語と補語の間に主述関係が成り立つ。


I had the waiter bring a glass of water.(ウエイターに水を一杯持ってきてもらった)


そしてよく書かれていることとして、目的語の位置にくる人が、文の主語に命じられることを行うことは社会的文脈から当然期待されていることである。


たとえば、あるサービスをお金を払って受けた場合を考えれば、その「当然さ」は自明。


I have my hair cut(by 床屋の旦那).とか。


しかし、have+目的語で文型は終了と書いたが本当にそうなのだろうか?


冷静に考えれば、the waiter bring a glass of waterのほうがよっぽど文としての体裁を為しているように思える。


もっと言ってしまえば、"the waiter bring a glass of water"という内容を私はhad(持った)と考えたほうが若干腑に落ちる気がする。


つまり、The waiter brought a glass of water.として語られる状況がある。


これを更に情報を追加して書き加えると、The waiter brought a glass of water to me.


これが実際に「起こったこと」の記述であるが、このような事が起こったそもそもの発端は、


私という主体がウイエターという客体に働きかけてそうさせたから、という因果関係があり、その因果関係を実際に行われた行為より意味的に一歩前に出して一気にすべてを表現しようと試みたのがI had the waiter bring a glass of water.と言えるかもしれない。


主体が後述のSVで表される客体の動作を持った、つまり、haveという他動詞が働きかける対象がそのSV全体に及び、そこが一種のhaveの大きな目的語と見なしうる。


I had the waiter bring a glass of water.においては中心的な動詞haveが時制を一手に引き受けhadとなり聞き手に時制は過去であると知らせているから、後で出てくるbroughtはある種の時制の裏返り的一致を受けてbringに戻されてしまう。


目的語の後ろには過去分詞なども来るが、結局はその目的語と目的格補語としての過去分詞が元々は一つの文だったとすれば、I have my hair cut.はMy hair was cut by床屋の親父。


を先述の理屈でI haveが飲みこんだと言えるのだろうか。