go to see a movie


go to see the circus


*go to see a festival


(通例 "*"のマークは非文法的であることを示す)


私の疑問を最初に記しますと、なぜ「映画/サーカスを見に行く」を英訳する際、go to see、が使用可能であって、他方、「祭りを見に行く」に限っては、*go to see a festival なのだろうか、ということです。



先日、英語のネイティブ・スピーカーの友人に英作文を見てもらったとき、I went to see a school festival. に関して、seeはここから省くべきだと直されました。


これがそもそものきっかけとなって上記のような疑問が生じました。


「go to see a movieは問題ないが、go to see a festivalは非文法的である」と言われるならまだ漠然とした納得状態を得られても、


「go to see the circus.は問題ないが、go to see a festivalは言いません」と言われると、「サーカスも祭りも似たようなものではないか」とつい言いたくなってしまいます。


そこで、広辞苑で「サーカス」、「祭り」をそれぞれ引いてみると、次のように定義してあります。


「サーカス: 多くの動物を使って、曲芸・軽業などを興行しながら各地を巡業する旅芸人の団体」


「祭り: 記念・祝賀・宣伝などのために催す集団的行事」


以上の2つの定義のなかからそれぞれに関する中心的な単語(名詞)を拾って見ると、前者は「興行」であり、後者は「行事」ということになりましょうか。


つまり、「サーカス」と「祭り」を本質的に分かつのは、前者は「興行」であって、後者は「行事」であると言えると思います。


では、「興行」と「行事」は何が違うのだろうか、と考えると、前者は自分以外の誰かによってなされるパフォーマンスを「観賞する(見る)」行為であり、後者は、そこで行われる何らかの活動に自らも「参加する」ことを一つの前提としてなされるもの、と言えるのではないでしょうか。


go to see a movieにおいて、「映画」という対象と「見る」という行為の関係は極めて自然です。これを敷衍すると、「サーカス」を「見る」のは自然な関係ですが、「祭り」を「見る」と言った場合には、祭りは見る側の存在もある程度まで必要ですが、祭り自体の成立要件としては、人が「参加」することによる、という側面がより重要に感じられるため、それは「見る営為」というより「参加する営為」と考えたほうが、より祭り(祭礼・儀式)の本質を捉えていると思われます。


たとえば、神事に関連した祭りごとでは、神事を執り行う当事者の存在がなければ成立はしません。それを見届ける側の存在はあくまで二次的な役割になるでしょう。


こうしたことから、go to see a movie/the circusは文法的であるのに対して、go to see a festivalは通じるが間違った英語と判定されるものと、私は考えました。


しかし、文化祭というのは、生徒=参加者であっても、保護者(及び地域の人たち)=参加者とは言い難く、むしろ、後者は依然「見物客」なのではないだろうか、と思えてなりません。


Googleで、go to see a festivalを検索しても一件も該当する英文は見つかりませんでした。

代わりに、たとえば、If you're attending a festival for a dayやHow to Go to the Sundance Film Festivalなどが上がってきました。



以上はあくまで私個人の私見ですので、間違っているかもしれません。鵜呑みにしないでください。

また、謬見等は遠慮なくご指摘ください。