小・中学校では辞書大好き人間だった私も
携帯電話の辞書機能や
ネットでの検索もおもしろいと思い
今では自宅に辞書を置いていない。



「じゅうぶん」という言葉を書こうとすると
私はだいたい「充分」と書く。

「十分」と見ると
私は 一瞬「(時間の)10分」の意味にとりそうになり
1秒かかるかかからないかの時間を使って
文脈から意味を判断する。


その一瞬、気づくか気づかないかの
ごく小さいことだけれど、

テンポよく読んでいるところで
文章にちょっとしたでっぱりがあるような
そこになんとなくつまづくような
その感覚が、たまに気になるのだ。



それならば、そんなことよりも
もっと誤字脱字などを気にした方がよいのだが

誤字脱字よりも「充分」にだけは、
なぜか なんとなくこだわる。




おそらく 私は、
「充分」の「充」という字の
満ち足りている感じが好きなのだろう。

「十分」の「十」は、100%なイメージ。


100%かどうかより、
満ち足りた感じがするか。




せっかくなので「充分 十分」で検索してみた。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6365110.html


ふむ。

私のイメージも、
当たらずとも遠からず といったところか。



…特に、人生哲学的な意図があって書いた訳ではない。

私が「なんとなく好きだ」という話であった。




2014年に書いたおはなしでした。



「時」(とき)や「訳」(わけ)をひらがなで書こうか漢字で書こうか いつもちょっとずつ気にしている。



こんなことを考えて、毎日16時に過去記事を紹介しています。
読んでくれてありがとう!