数秘術って
なんで桁の数を足すんだ…?

と疑問のままだったので調べた。

あの足し算をすると

もともとの数を9で割ったときの

「あまりの数」と同じ数が出てくるのだね。



そうか。

そういうことだったのか。




先日「サビアンと数秘術」という話を書いたのだけど、それを思い出して「あれ?そういえば?」となったのだ。



どれ。本当に「あまりの数」なのかやってみよう。


1985なら
1+9+8+5=23 2+3=
1985÷9=22 あまり5

115なら
1+1+5=
115÷9=12 あまり7

おおーー!本当だ!



ここから先は、数秘術を全然勉強していない私のイメージで 勝手な話をするので信じないでもらえたら助かります。


9は、ある種の完成というか「全部だよ」みたいなところがあるみたい。
この話はどこかで聞いたような気がする。

9の次で0(10)になるというのもあって「数としては最後のもの」という感じ?


その9で割るということは、
割られる数(生年月日とか)の中にあるできあがってるものをどんどんのけていくことになりそうだな。

できあがっているものは、言ってみれば「欠けがないから認識できないもの」みたいな感じだものな。


それをのけていったときにあまるものって、
9(ある種の完全)から見ると欠けがあって
不完全であるからこそ 私たちが認識できるもの

…というイメージが湧く。



そういうふうに考えるなら、
ホロスコープの惑星と似ているな。

ホロスコープの惑星は、私たちからすれば「星(物体)がある」と感じるものだけれど、
物質としての形態をとっているということは 振動密度が低い・次元がそこそこ低いわけで
むしろ宇宙に空いた穴ぼこを見ているようなことなんですな。

それと近いことのように思えた。



生年月日などの その人特有の数字のケタを足す“あの計算”によってそれを探るということは、その人が持っている
「顕れることができるもの」
「知覚され得るもの」
がなんなのかを見ようとしている感じ…

なるほど…!



というふうに、この解釈が数秘術的に正しいかは知らないけれど 私は勝手に納得したのであった。




こんなことを考えて、毎日16時に過去記事を紹介しています。
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