※ 注 「ココロのおはなし」のコピペ です。
もとの記事はこちら → 「世界の広さ と 道しるべ 2」


ひとつ前の記事のつづきです。


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…そこまで考えてみて、思い至ったものがある。




「正しさ」や「価値」や「意味」に代わる

判断基準・方向性・道しるべ として


「うれしい」「たのしい」「だいすき」 ( ← ドリカムか 笑)

というのは どうか、と。




「快」の感覚は、

人間が生きやすくなるためのもの

生を未来に繋いでいくためのもの と

私は 理解している。


(たべものを見ると「美味しそうキラキラ」って思うけど、
うんこを見ても「美味しそうキラキラ」っては思わないでしょ?

それに、大好きな人と お互いに相手を思いやりながらする
性行為は 気持ちいいでしょ?

そんな感じ。)




進む方向を知るための コンパスとしての

「快」




ときに、「快」の感覚と 「価値」「正しい」などを

捉えまちがうこともあるけどね(^_^;)


ホントは「快」と感じるはずのところで

一生懸命「快」と感じないようにしていたり

てなこともある。



とはいえ そこは、

気づいたときに どうにかできるものだとわかってきたので、

急いでなんとかしようとしなくてもよさそうだ。


(私はあんまり「今でしょ!」とは言わない。)


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そんなことを考え、「心地よい」を大事にするようになった。


はじめの頃は、「心地よい」を感じるセンサーが鈍っていて

食べることしかそう感じられることがなかったのだが

(よく食べていたので、今より12キロくらい 重かった)


いろいろ試すうちに

カラオケが楽しいことがわかり

文章を書くのが楽しいこともわかり

漫画を読むのも楽しいことがわかり

こうやって 心のことを考えるのも楽しいことがわかり


…そんな感じで、今に至る。

(食べる以外の楽しいことを見つけたら、自然とやせた。)





「快」というコンパスが 正しいのか 正しくないかはわからないが

今のところ、好感触だ。




(おわり)