ボランティア打ち合わせの日を、

「月曜か火曜で」

とお願いしたら

「28日で」

と言われ、こういうフェイント?にもう対応出来ない。


担当者のその管理職の顔を見るのもヤだったので、緊張してたせいもある。


緊張しすぎてると、苦手意識の強い相手だと、よけい粗相をする性格なのだ。



昨日、憂鬱な気分で早目に出かけて、廊下の前でライオンのように4、5分ウロウロしてから入室したら

「あれ~!今日だったっけ」

と証拠のメールを探された上(その頃にはこっちは負けを認めてた)

「ほらあ~やっぱり明日じゃない~」

とやんわりニヤニヤ言われて、一瞬ブチ切れ、

「あ~、すいません」

と、ヤンキー中学生並みのヤサグレた態度であらぬ方角を見て現実逃避した。


で、結局

「しょうがないんだからあ~」

的に相手してもらい借りを作っちまったぜ。



今朝、波平の前でその実況をやってみせたら、予想外に爆笑される。


切実に後悔してんだけど、幼稚な自分に。


ま、確かに見事な不貞腐れっぷりだったけど。


私の日常は勝った日、いい日、ダメな日しかないと思ってたけど、やっぱり負ける日もあるのね。


先週の火曜夜は下らない打ち合わせ(という名の飲み会=最もニガテとする)がいきなりなくなり時間が空いたので、近辺ライブハウスをチェックしたらルースターで小安田&江口bandがやってたのでホクホク行ったら失礼ながら稀に見るほど盛況だった。


小安田兄貴も嬉しかったのか足元が怪しいくらい酔っ払う。


大先輩(だよね?)山崎よしき兄貴を「ジイサン」呼ばわりするほど上機嫌で、吾妻光良師匠と最近レコーディングした話などもいつになく滑らかに喋っていた。


見てて笑えるレベルまで酔ってたがそこは愛嬌と勢いで気持ち良く歌ってしまうとこがプロだ。


しかもbluesほど酔いどれが似合う音楽もない。


江口のgrooveを久々聴いて、気持ちよく帰宅。




最近全然ライブに行けてなかったが、今週はさらに昨日も、イトコがザゼン狂いの、しかも疲れきってる私への哀れみもありましょうが、ザゼンライブのチケットを取ってくれてた。


円山町のclub asia、始まりが23時だったので明け方までのどこかで登場するザゼンを、骨を辛抱強くおすわりして待つイヌ同様の覚悟で行く。


この10年くらいclubに行ってないので、ID提示がめちゃキビしくなってて驚いた。


だいたい夜中clubに行く時なんか、お札をポケットに突っ込むだけだから財布に入れた免許証はなく、ザゼンがこれで見られないのかと思い視野に霞がかかるくらい途方に暮れたら、セキュリティのニイちゃんが哀れに思ったか許してくれた。


どう見たって、酒が飲めないトシには見えないでしょう。


自慢じゃないが、20代の頃から海外でもID提示を求められたことはない。



DJはhouseだったので長時間耐えられるか心配だったが、だらだらとbar付近で過ごしてたら、2時半過ぎにはザゼンがメインステージに登場。


右サイドから柔道二段とカシオマンが正面に見える。


めちゃ重量感あってタイトな柔道二段のdrumとカシオマンのsharpなリフ。


気に入ってる「zazen Ⅲ」とかと比べて、ライブはどんな感じかと思ってたらかなり完璧な作り。


もっとアドリブ感があった方がよりヒリヒリして「ザゼンを聴いてる」感があったと思うけど、打ち込み入りのバンドにありがちなぎこちない音の隙間やズレは全くなく、さすがナマ音と一体化してた。


いいバンドだった。

2、3曲かと思ってたら結構名曲ばかり(ザゼンは嫌いな曲ありませんが)やってくれたし、「asobi」を新宿じゃないけど、シブヤの斜め30度くらいの坂の上で聴く既視感も不思議で、覚醒する約1時間、堪能した。


MCは「matsuriスタジオからやってまいりました」連呼のみってのも味わい深い。


帰り、仕事で殆ど寝てないのでぐったりしてる猫先生を置いといて、イトコとふたりで「カッコよかったね」とハシャギまくりながらも

「心臓に刺さってる 赤く錆びた釘を抜いて」

とカリスマ向井秀徳と一緒に大合唱してた、あの若者clubberたちはイマドキ何を考えて生きてるのかちょっと考えたがよくわからなかった。


ただ、男の子はやっぱりハウス好きよりblues好きがいいなあ、と改めまして思った次第。





この一週間、仕事のほかに何故かボランティアの会議と打ち合わせが日に3つ以上あり疲れ切って昨日は仕事場で前後不覚で10時間寝てしまい、気がついたら朝だった。


日々、おじさんおばさんたち(失礼、自分も充分そういうトシになってる)に打たれまくる。


組織って大変なのね。


こないだイトコと好きなコトバを出し合ったら彼女は

「旅は道連れ世は情け」

だそうで、

のどかなイトコから一陣の涼風をいただく。


私は今は

「受けて立つ」「一矢報いる」とかしか浮かばない。


「来る者拒まず」「有言実行」なども最近は振りまいて自らの首を絞めている。



しかしあまりの理不尽な状況や忙しさに疲弊し、今日は思わず恩師チャールズにhelp me!のTELしてレッスン受けたいと直訴。



(楽しいほうの)ボランティアで弾く曲などの相談。


「黒鍵」と「愛の夢」、「軍隊ポロネーズ」あたりをポピュラーすぎて申し訳ないけど見てほしいとお願いするとバリバリクラシックな(はずの)チャールズ先生が驚愕の発言をされる。


「一般の人に聞いて貰うなら、もっとポピュラーな曲を入れなきゃだめだよ、ボクだってドサまわり(!?)してる時はエリーゼとかエコセーズ、子犬のワルツは必ず弾くよ。みなさんある程度は我慢してくれるけど、アカデミックなアタマで考えてちゃだめ、もう受験生じゃないんだから現実を見なきゃ」


「え~!! 先生、私、エリーゼも子犬もダイキライです」


「だから、そんな事言ってちゃだめなの。あなたが好きなシューベルトやブラームスなんか延々弾いたって皆、辛抱してくれてるだけなんだよ。(そりゃ下手ですしねっっ←心の中でのツッコミ)

現実を見て、掛け値なしに皆がいいと思う曲は凄いところが必ずあるんだから、弾いてみなきゃほんとに好きか嫌いかわかんないでしょ」


まあ、確かに仰る通り。


ということで、「エリーゼのために」と「子犬のワルツ」も見て持って行くことになってしまった。



なんかSくんたちに嘲笑われそう・・・


確かにこないだ初めて「幻想即興曲」弾いたらなかなかいい曲で気に入ったしな。



でもチャールズ先生に

『「愛の夢」だって、ちょっと弾いたら皆飽きてるんだよ」

って言われたけど、そうなのか??


好きじゃないリストの曲を皆好きそうだから・・て選んでみたのに。

私の感覚ってそんなにずれてるのか。

「子犬のワルツ」よりはウケるんじゃないのか??


今年は「世間を知れ」という試練が続いてる気がしないでもない。

昨日の合気道は38回目。


一教の変化技たくさん、入り身、四方投げの変化技もたくさん。


相変わらず、何の技をY大先生がやってらっしゃるのか全くわからない時がある。


が、最近は少しずうずうしくなってきたので、難しい応用技になったときは、自分が取りになると基本の技をやらせてもらったりしている。


短刀取りで五教をやったり楽しかった。



蒸し暑い季節になってきて、昨日はすぐ大量の汗をかき体が熱くなっていくので肩凝りがほぐれる気がして気分はいい。


昨日も吐く覚悟で行ったのだが、なぜかいつになく調子がよく、最後まで楽しく出来た。


なんでだろう?


まあ一時、息切れした時間帯、優しいヅカ軍団のお姉さま方やジェントルな方々に頼ったけど。


それにいつもより早めに終わった。

1時間35分頃からの10分、15分が確かにキビシイ。

そこで吐く。

昨日はその前に終わったからか。


午前中から歩き回っていたのがちょうどよい準備運動になってたのか。


帰って波平に

「初めてずっと、最後まで楽しかったよ~」

と報告すると

「今朝、カミングアウトしたのがよかったんじゃないの」

と笑う。



午前中、忍者たちの合気道に付き添いで行き、審査のことで日曜のボスF師範先生と立ち話をしていて、いきなり

「お母さんもやりませんか」

と勧誘され、流そうとしたがしっかり答えを待たれたので誤魔化しきれずに

「・・やってます」

「え?ここで?」

「・・いえ。ここではとても恐れ多くて、ムリです」

「いつから?」

(「どこで」とはお訊きにならない、さすが)

「・・去年からです」

「へえ~~」

まじまじ見られたので、

「いつもエラそうに親ぶってるので(とは言わなかったがそんなニュアンス)子供に教わりたくて」

「なるほど~」


ニッコリして去っていかれました。


忍者たちには

「ママも始めたって先生たちに言わないでよ」

とそういう秘密みたいのは嫌なのですが、さすがにクギをさしておいたのに。


その後、正座して見学しているといつも以上に何度も「正座崩してくださいね」とニコニコしながら仰る。

だからあ、私は正座して見たいんです、いつも。


でも、今まで「親として」見学させて頂いてたのが隠れ蓑みたいだったので、堂々と「自分も勉強させて頂いてる」ことになってちょっとほっとする。



そのことを波平は言ってるのだが、それは関係ないよね。


それより、もうすぐ合気道始めてちょうど一年がたつ。




覚えておくこと。


逆半身片手取り一教、横面打ち一教ともに、最初の捌き、手の取り方。



・・いい加減先生を見取ってる時すでに「出来ないっ」とパニックにならないで覚えようよ~自分。


江戸アケミが気になってネットを見ていたら、ロフト(ライブハウスの方ね)のフリーペーパーみたいので特集していた。


その内容が凄かった。

http://www.loft-prj.co.jp/interview/0301/10.html


OTOとマネージャー(大平氏)と南流石の対談になっている。

長いが(嬉しいことに全体はもっと長い)引用する。


OTO 83年にアケミがテンパッた時、太陽の下じゃないと喋らなくなってしまって、ビルの中だと筆談しかしないんだよ。(略)屋上に行ったのね。そうすると何事もなかったように普通に喋りだすんだよ。それで、当時住んでた参宮橋のビルの屋上からは神宮の森が見えるんだけど、その時アケミが「おまえ、あっち観てみ。神宮の森があるのに、その前にあんなにガンガン、ビル建ててさあ。神宮の森が泣いてるじゃん。わかる?」って言うの。もちろん、人間が森を切り裂いてビルを建てる事がよくないってのはなんとなくわかるんだけど、その時、森が泣いてるって感じるかどうか、その切実さっていうのは、単に頭で理解するレベルとは違うと思うんだよ。森が泣いてるという痛みを、自分が愛する人が苦しんでいる時に感じる痛みと同じように感じるっていうのはさ。」 地球はどうしてできたのか、誰が作ったのかと考えて、地球がクソなのかと思ってクソを喰ったりしたんだよ。



(略)アケミは小さい頃、バキュームカーの運転手になりたかったって。(略)ウンコはちゃんと養分として循環するものなのに、化学肥料とかが主流になるにつれ、いつの間にか忌み嫌われるものとして排除されてしまった。そういった人間の都合で排除していく事に対して憤りを感じていたのかもしれないね。


『南蛮渡来』の頃は「土臭い」っていうキーワードがあって、それはアメリカ流に言えば「ダウン・トゥ・アース」ってことになるんだろうけど、そんなシャレた言い方はしてなかった。例えば同じようなフレーズでも「うーん、今のは土臭さが足りねえなあ」とか「お、今のはちょっと土臭かったね!」とか、何の宗教のワークショップだって感じだったよ(笑) だってさあ、「土臭い手拍子打ってくれ」とか言われても困っちゃうよね(笑)


OTO (略)パーツ、パーツで見ると下手な人も混じってたけど、全体で気持ちよくなるように延々練習してたよね。あと、アケミの場合、インストだけのパートでもやたらと喋りたがるんだよ。うるせえって言うんだけど、なんかやたら混じってくる(笑) でもやっぱり、音を出してる者同士だけでやるんじゃなくて、センターにスピリット・プロバイダーが必要だったと思う。(略)

──じゃあ、テクニックがない人を辞めさせるという発想もなかった?
OTO それはないな。ストーンズ方式っていうか(笑) 人ありきだよね。20秒かけてできなかったら1時間かけるし、10時間かけて練習する。そうすると同じ下手でも、20秒と10時間では格段に中身が違ってくる。それは1つのフレーズに10時間生きちゃったわけだからさ。…ということを、もうちょっと早く解ればよかったんだよね、俺(笑)
大平 今の発言重要だよ(笑) 』


ほかにも、アケミは、スタッフで遅れてくる子に模範を示すために早く来てみせたり、OTOがメンバーのテク向上を図ろうとして猛練習させてると「オレは違うやり方をする」といい、OTOが「じゃあどんなやり方すんだよ」みたいになって、それに対するアケミの答えは「オレはナベんち行ってきた」。

「フレーズがうまくいかないのは技術だけの問題じゃない、バンドをやるってそういうことだぜ」というメッセージだったと思う、と振り返って反省するOTO。


などなど、どれもこれもエピソードがリアル過ぎて身につまされる。


近田氏はそういう、自己の信念に忠実なアケミの奥深さを理解していたから、困りながらも一生懸命付き合ってくれてたとOTOが言っていた。

当時からオトナな人だったのだなあ。



もういまさら遅いけど諦めたら終わりだから(昨日もZeppelinで似たような事を言ったような・・)これからはアケミの音楽と言葉を心の支えに生きてくのだ。

なんでツェッペリンがいまごろになって突然キタのか「Immigrant song」を聴いてていきなり気がついた。


ザゼンボーイズに似てる。

そうじゃなくて、ザゼンがツェッペリンみたいなのね。



自分たちのことを「法被(ハッピ)を着たツェッペリン」と言ってるらしい。

「袈裟を着た」じゃないんだ笑


ちょっと前、猫先生とイトコがツェッペリンに狂ってた(なんで?)のだが、私もわかるようになって嬉しいな。


しかしザゼンを聴かなきゃツェッペリンがわからない自分って、遅すぎる。


しかししかし何事にも遅すぎるから無意味ってことはないのだ。


気になる事がひとつある。


ツェッペリンは(UKのROCKバンドだと思ってたのに)なぜあんなに全員がgrooveしてるんだろうか。

昨日は6月9日、「ロックの日」だったそうで、仕事場に早い時間に着いたのでJ-WAVEをつけたら、bowieの「ROCK 'N' ROLL SUICIDE」がかかっていた。

懐かしすぎる。


rock legendたちを特集してるらしく、その後も時々つけて聴いているといろんなバンドが出て来たが、凄いと思ったのはツェッペリン(Rock'n Roll)だった。


しょっぱなのボーナムのドラムが凄いのね。

あんな凄い人だと知らなかった笑

年取ると色々わかってくるもんだ。


基本的にリアルタイムの曲が好きだったので、ツェッペリンにのめりこんだ事がなかったけど、いきなり凄さがわかりました。


・・・プライマル・スクリームとかましてやコールドプレイとかは必要なのだろうか。


どんなクリエイティブな分野でも創生期には既に完成しているので、あとからやってくる人たちは大変だ。


しかし自分もそうだったけど、十代のリアル体験というものが生きる上で重要なファクターなのは事実。


そういう意味では最近の邦楽は良いなあと思う。




トム・ウェイツの「TOM TRAUBERT'S BLUES」もかかっていたので思い出すことなど。


トム・ウェイツの「ソ-ドフィッシュトロンボーン」とルー・リードの「ブルーマスク」をしつこく交互に聴いていた時期が10代の最後にあった。


今考えると、大学も惰性で入ってしまい殆ど行かず、どう生きていったらいいのかわからず、わからないことを直視せず、bubbleにすり寄っていたけど、どこかではニンゲンの尊厳を求めてトム・ウェイツを聴いてたんだろう。


しかし臆病者だった私にはトム・ウェイツは辛すぎて短期間で聴かなくなった。



それに比べるとルー・リードは大好きで、初めて耳コピしたのが「Berlin 」だし、ソロになってから「new york」までは(LPですよ!)聴いてる。


「mistrial」の頃来日した時もひとりでイソイソと行った。


「blue mask」とトム・ウェイツの「ソードフィッシュ~」は両方とも、気持ち悪くサイケなジャケットなのに当時はなんとも思ってなかった。


若いって怖いもの知らずだ。


そしてそれが血となり肉となるのであるね。


今は忍者たちがどんな音楽を自分で嗅ぎつけるのかが楽しみで生きてるようなものだ。

お蝶夫人に、やりにくい管理職の最新情報を告げ口しつつボランティア仕事の打ち合わせをだらだらとしていたら、唐突に「自画像を描いてもらうとしたら、誰に描いてもらいたい?」と訊かれた。


マリーアントワネットじゃないからそんなこと考えた事もなかった。

誰がいいかな。


まずベラスケスが浮かぶけど、内面を抉られそうでこわい。

次にゴッホが浮かんでもっとぞっとする。


ラファエルロやルーベンスなどのバロックやルネッサンスの巨匠たちはアジア人の私には興味なさそうだから最初から除外。


やっぱり、日本人の女の人に描いてほしい。


「小倉遊亀だな」と、本気でオーダーしたら煮詰まってた気持ちが、急にお大尽気分になる。


上村松園も好きだけど美人画すぎるし、小倉遊亀は大らかな筆使いと気持ちの晴れるビビッドな色使いが、いつ見ても惚れ惚れする。


「お蝶夫人は誰に描いてほしいの?」

と訊くと

「ロートレック」

だそうだ。


あのゆがんだ小男か。

彼だと、お美しいお蝶夫人でもただキレイには描いて貰えなさそうだけど。

「そこがいい」

そうだ。


こないだ来てたゴーギャン展に確か4、5回行ってた人だから

「ゴーギャンに描いてほしくないの?」

と言ったら

「やだ」

と即答された。


ひとには他人にはわからない基準がある。



私は過去、芸高時代などにモデルになってあげて、目や口の位置のむちゃくちゃな抽象画として完成された絵を描いた当人に自慢げに見せられ、絶句した経験が何度もあるので、覚悟を決めてピカソに頼んだら最初から出来上がりに落胆せずに済むと思う。


女は綺麗に見られたい生き物なのだ、女を捨ててなければ。


私の場合、客観的な視点もほぼなく、その上まだまだ女を捨ててないから、写真も綺麗に撮れてないと波平に真剣に抗議した事は一度やニ度ではない。


それなのに

「写りが悪いな」

と思ってしみじみ見てた写真をイトコがのぞいて

「よく写ってるじゃん」

とか言われると、

「これでよく写ってるってことはホンモノはどの程度どうなのよっ」

と血相を変える事態が起きる事になる。


業が深い。

偶然の必然が時々起こる。


先週、日本近代文学館が主催する今年の「夏の文学教室」のDMが届いた。


伊藤比呂美、唐十郎、横尾忠則の三人が続けて一時間ずつ講義をするという魅力的な日があったので、すぐ行くことにしてイトコにもTELし、2枚チケットを取る事にする。


するとその日の夜、仕事から帰ってきた猫先生(イトコのダンナ)が「伊藤比呂美って知ってる?ラジオで喋ってた、ブッとんだ人だよ」と言ったそうだ。



私自身、文学館のお知らせが届いたので「腰巻お仙」や「少女仮面」、「蛇姫様―我が心の奈蛇―」などに思いを馳せていたら、次の日、新宿の花園神社を通りかかると紅テントが張ってあって、寄ってみると唐組の若者たちが黙々と新作「百人町」の準備をしていた。


七月には「蛇姫様」を浅草寺横で上演するらしく、禍々しくも懐かしいテイストのチラシが置いてあった。


境内のあちこちでふたり組になってセリフの練習をしている傍に、軍曹が興味深げに寄っていっていた。




ある事に興味を持つとそれに関する事柄が自然と目に留まり出す、というだけの事なのだがなんとなく嬉しい。



ちょっと違うけど、大好きな中上健次と南方熊楠が同じ和歌山の出身なのは、熊野古道もある紀州ならではという感じでなんとなく納得してしまったのだが、合気道開祖の植芝盛平も和歌山出身で、今度はその開祖が晩年本拠地にした茨城県には岡倉天心も晩年過ごした五浦(いづら)が近くにある。


ということなどが次々にわかると、霊的な磁場とか「気」のある場所といった苦手な分野でなくとも、「土地」と「人」とには確実に相関関係があると思う。


熊野古道にいつか分け入りたい。


一昨日イトコのメールに「エレジー」と「ペーソス」の違いは?とあってちょっと考えたが、よくわからなかった。


しりあがり寿(私は見たことないけど・・)の漫画は「エレジー」なんだそうだ。


私はちゃんと読んだ事がなくイメージが湧かない。



今日もまた思い出し考えてみた。

「エレジー」には回復力がなくひたすら「もの哀しい」、「ペーソス」は哀しいけど「可笑しみ」があり治癒力がある、みたいな感じか。


毎日聴いてるじゃがたらにはどっちも入ってる。

精神的にしんどい時、「エレジー」の部分でゆるやかに慰められ、「ペーソス」で気分が楽になる。


ビブラストーンには「エレジー」は殆どない。

常に前向き、「攻撃は最大の防御なり」といった感じ。



演歌に「エレジー」ってよくある。


あれはどういう意味なのか。


「湯の町エレジー」とか。


博打にうつつを抜かす男から逃れて温泉町に来た艶っぽい仲居さんが深夜仕事を終え、うつろな眼差しで真っ暗な清流を見下ろしてる図が浮かぶ。


あ、いかん、イトコの妄想癖が伝染った。



似て非なる単語を比較するのは面白い。


ちょうど「『いき』の構造を読む」を読んでたところだった。


九鬼周造「いきの構造」は名著だと思うが少し難しいので、安田武、多田道太郎が解説してくれる「『いき』の構造を読む」を20代の頃から時々取り出しては愛読している。


文化文政時代から続く「江戸っ子らしさ」の生態解説にもなっている「イキ」な本で、「いい女」に対する理想と憧憬もお二人が学者っぽくなく大いに語る、面白い本なのだが、「いき」と「粋(すい)」では随分違うのだ。


「いき」は江戸文化、「粋(すい)」は上方文化である。


また、「わび」「さび」は聖なるもので「いき」「いなせ」は俗な美意識だそうだ。

納得。


江戸っ子の「いき」の最大の特徴は「消費文化の緊張感」かと思う、自分もそんな緊張感の中で生きたい。


が、精神的なやせ我慢はわりと得意だが、つゆに蕎麦を一瞬しか浸さないのは、ぜったいにムリ。


「いき」に生きるのは残念ながら女はなかなか難しいかなあ。


なんであっついお湯に我慢して浸かるのか、共感出来る女性がそうそういるとは思えない。



「いき」な現代人、で思いつくのは阿部サダヲちゃんかな。


そういえば阿部定も粋な人であったろうと思うのである。