私がユーチューブを見てれば当然波平や忍者たちも見るようになる。


昨日夕方、忍者が「コワイコワイ」騒いでいたので軍曹と行ってみたら「となりのトトロの怖い話」みたいなタイトルのを見ていた。



たぶんふつうの人の自作の投稿ものだ。

よく作るなあ。




私も思春期前は、「こわい話」に興味のある時期が定期的にきた気がする。



原体験は幼稚園の頃父か母が買ってきたタイトルも「日本のこわい話」という文学の香り高い?単行本で、すぐ思い出せる一編が炭鉱の話。



村人たちからでくのぼう呼ばわりされている、おっとり者でやさしい性格の忠兵衛(とかそんな名前)が、山の中で毎日毎日ひたすら土を掘っているのだが、ある日彼を呼ぶ低い声がどこからともなく聞こえてきて、何度も外に出てみるが誰もいない。



一緒に働いている人たちからは忙しい時に何やってる、と罵倒されるが、あまりにもその声がしつこく彼を呼ぶので、もう一度だけ、と外に出た途端、山が崩れてしまい彼だけが生き残る、という話。



生き残る話だから怖くないはずなのだが妙に印象に残っている。

なんとか救われたかったのか。



そのほかにもアトランティス大陸とか卑弥呼とかのオカルト考古もの(地理とかが苦手だったからかブームはすぐ終わった)、学校のクラスメートに借りたノストラダムスや漫画(コワイから作者も書けない、○○新聞とか、みんなが読むやつ)、一番ハマったのが怪人20面相シリーズ。


図書館で借りてそれをすぐ読みながら、殆ど人影のない鳥の声だけが響く神社の境内を通って帰ったのを今でもよく思い出す。


一人っ子だったから、いつもひとりだった。



その「こわい話」は中学生になるとホームズ、アガサ・クリスティ、松本清張、はたまた横溝正史や大藪春彦に変わっていった。



忍者のユーチューブの話に戻ると、

「トトロ」は「トロル」から来てて、ふたりの姉妹は話の途中で既に死んでる、

などの説明があって、4、5分の作品の最後の映像がトトロちゃんの気持ちの悪いイラストで終わるというもの。


大袈裟にキャーキャー騒いであげたら満足そうだ。



本当は姉妹は死んでしまっているのだから、映画の最後のほう、お母さんに会うところなどではそれを表すために、ふたりには影が描かれていない、という。



少ししたら忍者がニヤニヤしながら「あれウソだったよ」と言う。


実際のトトロの映画をユーチューブで見てみたら(なんでもあるのね)、最後まで影がちゃんと描かれてた、という。


常に「データを出せ」「想像でものを言わない、証拠が大切だ(ほぼ自分への戒め)」と言ってる私なので、キッチリ実証したのがえらい、とほめて20円あげた(姉妹が死んでなかったのが非常に嬉しかった)。

次に北欧の妖精トロールを調べ始めて、楽しい夏休み、どこまでも脱線していく忍者であった。

今更だけどネットって、探してるテーマに沿った雑駁な情報量がすごい。


こんなメディアが生まれた時からある人たちって大変だと思ってしまう。


先日TV見てたら、ネットが普及し始めた頃に比べて今ではケタ違いの情報量が一日毎に増えていってるらしい(またあやふやな・・・)。


だいたい私が気になる事なんてどうでもいい事しかない訳だけど、昨日は久々の完璧な休日だったので、冷やしたライトなトスカーナ産赤ワインをグビグビ飲みつつ、半日ネットサーフィンしてしまった懺悔。


チャック・レイニーは「peg」でスティーリ-ダンから(ってダレ?)チョッパーで弾くなと言われてたのに隠れて弾いたとか、その「peg」は何人ものスーパーギタリストが勝負?させられて、1発OKの(のちのエアプレイ)ジェイ・グレイドン(パット・メセニーもいたってホントかなあ)になったとか、どうでもいい数々のエピソードを仕入れた。

しかも「room335」は、その「peg」勝負でラリー・カールトンが負けて作った曲だという。

で、ユーチューブで久々聴いてみたら(両方CD持ってるのにメンドくさくてユーチューブでお茶を濁すなんて末期症状)コード進行同じだ。

というかリフもおんなじ。


なんで気づかなかったんだろう。

情けなくて悶絶。


聴き直してみて、スティーリー・ダンの中では「the royal scam」以前の3作の方が生々しさがあり気持ちよく聴けて、完成度が高い「Aja」は非常によく聴いたわりには完全に録音至上主義的になったことでハマりきれなかったのか、それ以降ドナルド・フェイゲンは殆ど聴いていない。


バンドの良さってあると思う(江戸アケミをよく知らなかった当時もそう思ってた)。



それから、ユーチューブには私の中で初めて「民放」への尊敬を抱いたといっても過言ではない番組「カルトQ」もアップされている事が判明、「YMO」カルトに見入る。


当時、かなりオタク度が高く友だちもいなかった私が「もしかしてイケるかも」と甘い期待を抱いて見たら(テーマは忘れてしまった)歯が立たなくて、「井の中の蛙」という諺を思い知ったのはあの時だった。



あとはイトコがアニメ嫌いな私に「どうしても見れ」と言うので電気グルーヴ「モノノケダンス」見る。


ほんとにこれだけ見てなかった。


見始めて最後まで爆笑。


曲も作家もオチもステキすぎ。

アニメじゃないけど。



こないだ国粋主義の(?)Nくんとずっと「日本人も捨てたもんじゃない」事について喋って、日頃の自分たちの満たされない思いを解消してたんだけど、これはそんな私たち日本人の気持ちが明るくなる映像だと思う。けど私の勘違いかもしれない。



それからさらに、数日前、友人のギタリストと「除湿」と「冷房」ではどっちが経済的かで論争になったので(似合わない・・)気になってそれも調べたけど結局よくわからない。


やっぱりどんなに情報があっても、ベースに理解度や知識が皆無だと(私の場合理系すべて)意味がない、という良い見本だ。


情報は選択しなきゃねっ


なので今日は過剰に電磁波を浴びず、地道に家事とコドモの宿題見物と仕事で汗を流すことにする。

昨日はライブ行きたいとずっと言ってた生徒さんを誘って原宿ラ・ドンナへ行く。


初めてだったけど最近こういう東京ブルーノートふうのところが増えてる。

バブリーな感じだけど大丈夫なんだろうか、他人事ながら。

PAが私の座席の位置が悪かったのかイマイチ。


一緒に行った彼女は重い病を克服した快気祝いだったので、賑やかなライブがいいかなと思い、カズ南沢vocal レイニーズバンドにした。


行くと1setのジェームズ・ブラウンなりきりのバンドが始まってたが、暫く聞いてい

たらそのJ・Bなりきりボーカルの男の人が「今日はレジェンド、チャックがゲストで来てます・・」と私の後方を指した。


「え?」と思い、振り返るとすぐそこにチャック・レイニーがいた。


スタジオ・ミュージシャンの顔なんて本来覚えてるハズもないのに、なんですぐわかるんだろう、しかし巨体で、穏やかな表情で存在感ものすごい。



うちにあるLPやCDに大量にクレジットされてる、「あの」チャック・レイニーだ。


今朝CD棚を見ながら思い出してみるとスティーリー・ダン、クインシー、特に聴きまくった名盤「BODY HEAT」、初期のロバート・パーマー、シェリル・リン、ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイ、リチャード・ティー、どんどん出てくる。


でも、意外に持ってるCDを見るとブレッカーbros.やトム・コスターとはやってなかったり、リトル・フィートとやってなかったかな?と気になって、ネットで公式サイトを見てみたらキャノンボールから始まってハンプトン・ホーズやロリンズともやっていて、アル・クーパーともやってる。


幅広すぎないか笑



兎に角、チャック・レイニーが弾いてくれるのね、とワクワクして2set目を待つ。


レイニーズバンド、こう言っちゃなんなんだけど対バンがあると、いかにグルーヴしてるかよくわかる。


何が違うんだろう、リズム隊、ホーン、勿論ヴォーカル・・結局全部かあ。


しかも今日はそのバンド名の元、チャック・レイニーが聴いてるなんて。


チャックを囲んでた素敵なオバサマ(いやオネエサマです)たちが休憩時間に勝手に色々教えてくれたところによると、ビルボードにマレナ・ショウと来ていて、ハーヴィ・メイスンやデヴィッドTなどお馴染みのメンバー勢揃いでやったらしい。


「すっごくいいわよお~来年もたぶん来るからいらっしゃいっ」とのことでした。



そして最後にチャック参加。


ブルースフレ-ズを弾きだしてwhat my mom told meみたいな感じのをやって、次はよくレイニーズバンドでやってるチャックお手のものの感じの洗練されたビル・ウィザーズの曲かな?を演った。


往年のキレる感じではなかったけど目の前30㎝で見られただけで満足っす。


しかしカズさんのバンドに行くと、去年はギャドソンが飛び入りで今年はチャック・レイニー。


毎年毎年ありがたや~。


昨日は日本近代文学館 ”「昭和」という時間”講演会に仕事とボランティアの合間を縫って行った。


昨年初めて行って、アーサー・ビナードの面白い話を聞いたので、今年も期待する。


一人目の伊藤比呂美氏は漫談ふうに自分史をフェミニズムなども交えて受講者を飽きさせないようにお話し。


二番目はお目当ての唐十郎。

セリフでなく喋る唐さんを見るのは初めて。


小学生が被るような帽子(丸みが。オシャレではある、服装描写は難しい)を被って、革の明るい茶色の四角い大きなかばんを肩にかけ、唐さんの戯曲から抜け出てきたような可愛くて近寄るとアブなそうなおじさんの格好をしている。


最初、「情熱大陸」とすぐわかるビデオや画質の粗い舞台の様子などを上映する。


唐さん本人も舞台上で、観客に斜めに背を向けて姿勢正しく、微動だにせず大きなスクリーンを見つめていた。


何を考えてるんだろう・・・・


長く感じたが実際は10分くらいだと思う、それが終わると帽子も被ったまま、かばんも肩にかけたまま、演台に出てきて早口で話し始める。


舞台と同じ、キレのよい音とくぐもった音とが混在した魅力的な声だ。


十代の頃からのワイドショー的唐研究家の私としては目新しいエピソードは多くなかったが、ひとりで芝居を始めた頃の話(新宿 戸山の築山だと思うが、そこでリヤカーに客を載せて駆け下りたりしたそうだ、客は三人だった)や、その前に休業日のデパートで力仕事のアルバイトをしていた時、マネキン30体を1体につき3秒ずつ見つめていたところ、「遅い」と叱られ辞めさせられた話(これどこかで聞いた気がするな・・・)。


三好十郎の「廃墟」の話を何度もしていた。

大好きだそうだ。


だから唐「十郎」だったのか!


意外?にも小林秀雄が大好き。


マルクスの「資本論」は、誰か別の人の芝居の客演で(誰の戯曲だったか忘れてしまった。若松孝二の映画「犯された白衣」=ギャラはあわび3コ、じゃなかった気がするし・・鈴木忠志だったか・・)、労働者の役をやるのに不可欠だから読めと言われたが、難しくて少ししか読めなかった、小林秀雄を読んでいたいそうだ。

 

「実存主義が何か、サルトルもカミュもキミは何もわかってない!」

と大声で罵倒されまくられた話など、キム・ジハとの交流についてもご本人が語るのを聞けて楽しかった。


自分の戯曲に出てくる人物が

「観念的ですよね、ははは」

と何度も言っていてその様子が客観的という訳でもなく、自嘲気味で可笑しかった。



一緒に行ったイトコに言わせると、ひとつひとつの話に全くオチがなく、しかしそれが延々続くと遂には面白くなってしまった、とのことだった。

それから下町っ子なので、見事に発音の「し」と「ひ」が反対になっていたそうだ。

私は今まで気付いてなかった。

エピソードの時系列もバラバラで、行きつ戻りつし、いきなり終わってしまった。


とても面白かった。


昭和70年代の空気の中で書かれた戯曲に浸るのも意味ない気がして、かといって最近の新作が面白いか不安で裏切られたくなくて、最近の「唐組」には行かないが、回顧趣味でいいので無性に舞台が見たくなる。



これからは「水」をモチーフに芝居を展開してみたいと思います、と最後にきっぱり言っておられた。



最後は横尾忠則氏。


全体的にものすごい濃い一日だ。


それをわかってて行ってるのに実際目の前に以上三人が次々に出てくるインパクトは、先日の談志、三枝以下六名お喋り会より更なるインパクトがあった。


「三島由紀夫氏との日々」というタイトルも濃密な感じ。


因みに唐さんのタイトルは「昭和元禄の徒花と呼ばれたテント」という、お似合いなキャッチーなもの。


横尾さんはこないだの三枝師匠かと思うような白いスーツ姿、背もお高いし大変スマートでダンディなので、さぞイトコが舞い上がってるだろうと横を見るとシレっとしていた。


この人は予測不能だな。


後で聞くとカッコイイ事は想定済みだったし、もっと破天荒な感じかと思っていたからむしろちょっとガッカリしたそうだ。


最初に

「三島論はやりません、三島さんの喋ったこと、行動などからも三島さんがわかると思っている」

と言って始まった。


横尾さんの三島エピソードも知ってるものが多かったが、やはり言われた(もしくは無茶をされた)ご本人から聞くと迫力があった。


三島由紀夫は蕗谷虹児、ビアズレー、芳年などが好きだったそうだ。


なるほど。


三島の書斎に初めて入った時、漫画本が山と積み上げられていて

「とてもなんというかショック」

だったそうだ。


それに書斎の机がスチール製で「課長か部長が座るようなもの」だったそうだ。


私はそっちの方がショック、というか胸を突かれた。


文豪なら誰しも素晴らしい机、値段がどうこうでなく、その作家所以の趣きのある机を持っているのが必然だと思っていたが、味気ない灰色のデスクを思い浮かべると、書く作業のみが切実だったのか、「職業」という意識を課してたのか。

なんなんだろう。


三島の、有名なお茶目な見栄っ張り、我が儘ぶりをさんざん喋ったあと、最終的に横尾さんは

「知りませんよ、ほんとのところ三島さんの本心は」

と言い切っていた。


三島の日常の矮小ぶりがどんなに語られようと、三島文学が好物な私にとっては濃茶についてくる美味しい練り切りみたいなものだ。


横尾さんが三島の自害に関する諸々について、数年前から全て言い当てていた事、直前の平静な様子も有名だが(横尾さんがよく淡々と語っている)、

「三島さんはこの世に遊びにいらしたのかなあと思う」

という一言が横尾さんらしかった。


話している間中スクリーンに、三島家にある丸いコーナーでの若き颯爽とした二人の写真が映し出されていて、素敵だった。



終わって泰明庵、もっとダラダラしたかったが仕事に行った。



「妖怪」とは、伊藤比呂美が自ら言った言葉で、「女が55にもなると、化粧しないとただの汚いおばさん、化粧すると妖怪になる」だそうである、流石。


昨日の朝は「めくれたオレンジ」のラッパが頭の中で鳴り響き、うなされながら目が覚める。




今朝は「電気ビリビリ」が渦を巻きながら目が覚めた。




おとといの夜you tube巡りのラストにスカパラの「めくれたオレンジ」の武道館とかのliveが出てきて、ギムラの格好をした田島くんがテカテカしながら踊ってるのを見て寝て、昨日の夜は「Shangri-La」のPVを初めて見て満足して寝たからだ。


スウィンギン・バッパーズかビブラ・ストーンもしくは田島くん在籍時のピチカート・ファイブを聴きに行くと、なぜかもれなくスカパラがついてきた時代があったっけ。

電気グルーヴのPVは、シャングリラもそうだけど「少年ヤング」「upside down」どれも面白くて釘付け。


基本、PVに興味ないが見てるうち、電気グルーヴのは音の邪魔をしないだけじゃなく、視覚的にも相乗効果的に中毒性があって感心してしまった。


昨日の夜遅くに豪徳寺の「PICON」で友人と飲んでいて電気グルーヴが無性に聴きたくなったのだった。



”夏”

といえば私たち世代のポップソングはgrooveしてる「シャングリラ」とベタッとした真心の「エンドレス・サマーヌード」の2本立てな訳だ。





PICONは前から

「ぜったい好きだと思う」

と言われて楽しみにしてたらいいお店だった。



なにが素敵って薬草酒が一番好きな私にとっては、シャルトリューズが沢山ある。

初めて飲んだ(ピカソの好物だった)スーズ、フェンネルの利いたプロヴァンスの取り寄せオリーヴも、サラダやパテも美味しい。



その上、自分のアトリエに行く途中の道にあることがわかったが、昼間パスティスひっかけてから仕事などしてよいものだろうか、よいに違いない。


遂に今日、行政の管理職にブッチギレて

「アナタの部下には3ヶ月以上我慢してきましたが、もうムリでござる」

的な事を言ってしまった。


何が嫌だったって、その「アナタの部下」は確かに酷いけれども、それを監督すべき「アナタ」もなんとか穏便に指揮をとってもらえませんかね~、皆さんのいるところで部下を怒鳴ったり険悪な雰囲気を外部の人に披露したりするのは如何なものでしょうか、という事を言いたかったのに、根性ナシで上手く言えなかった自分への自己嫌悪。


情けない。



猛省するために、


夏雲群るるこの峡中に死ぬるかな


もしくは墨書の絶筆、


いち早く日暮るる蝉の鳴きにけり



飯田蛇笏のこの二句を反芻したい。



話変って、覚え書き。


イトコとそのダンナ邪悪な猫先生がNHK・AMラジオの「新・話の泉」観覧ハガキを出して見事当選し

「もう動く談志を見るのは諦めた」

が口癖の私にそのハガキを譲ってくれ、先々週の月曜出掛けたのだった。


夕方なんとかNHK着。


既に長蛇の列、アバウトながら全員55歳以上な感じで、私とイトコ以外見事に若者(全然私たちも若くないが)はいない。


と思ったら、近隣の(2年前に一触即発の危機を乗り越え今は仲良し)頑固者の町会長を発見!!


信じられない。

咄嗟に身を縮める。


表向き仲良しだけど、特にプライベートで口ききたくない。



よくよく観察するうち、zazen boysライブにいそうなふくらはぎ一面に刺青ありの若者ふたり組と、イトコいわくテイ・トウワ似(申し訳ないがそこはかとなく似てる)と、モヒカンの若者ふたり組を発見。

ちょっと安心する。


そうこうするうち番組始まる。


仕切りはオヤジのアイドル的存在か?渡邊あゆみアナ、

で、番組の家元、談志登場。


横のイトコを何気なく見ると、無意識で口を半開きにして笑っている。


どう見ても上野動物園のパンダを見に来た感じだ。



次々とすぐ目の前に現れる巨匠たち。


嵐山光三郎、山藤章二(明日にでも倒れそうにお痩せになってらっしゃる)、毒蝮三太夫、そしてTシャツ姿でADにしか見えないキッチュこと松尾貴史登場。

ゲストは上方から桂三枝師匠。


ラジオとは思えない豪華さ。


他の出演者の年齢が年齢だけに、「デキる人」キッチュがただの青二才にしか見えない。


それ以外の出演者全員が天然記念物的な存在の方ばかりなので、全国放送NHKの権威を感じる。



2時間以上も続いた収録の中では、浄瑠璃も上手かったという橘ノ 圓都師匠の思い出話がとても興味深かった。


講談だったか浪曲だったか・・忘れてしまった、談志師匠の好きな上方の師匠の録音も素晴らしかった。


イトコは三枝師匠は「新婚さんいらっしゃい~」しか知らなかったそうで、

「美しい人だ」

と感銘を受けていて、私は得意であった。


若手の噺家さんに聞くと、小言幸兵衛のような人らしいが、見てるだけなら丹頂鶴のような人である。


扇子の持ち方も粋である。


奥ゆかしく控えめに談志に絡むところなどが素敵なのである。


合いの手の見事さ、「新婚さんいらっしゃい」の椅子、倒れて大変ですね~と振られて、「いや、あれは倒れやすく出来てる椅子なので大丈夫なのです、転んでから起きるのが年々大変で」みたいな話とか軽々としてらした。



毒蝮三太夫は前から誰かに似ていると思っていたが、浅香光代にクリソツなことを発見。


三枝師に終始いじられていた。



最後に渡邊あゆみアナが「秋の特番でも皆さま揃ってお会い致しましょう」と言っていた。


客の私たちが「ほんとにこの中のひとりくらいはアブナイかも・・」と真剣に受け止めているのに、最も不安な外見の山藤さんに向かって「山藤さん大丈夫?」と平然と聞くガタイのいい毒蝮は当分死にそうにない。


帰りは当然、日本酒と魚しかないということで、近くの「魚真」で天然記念物たちに会えた喜びに浸る。


噺を聴けなかったからか談志はあまりに想像してた通りで、むしろアタマの柔らかい先輩をたてる三枝が印象深かった。


談志師匠は、かなりお元気で、声もちゃんとした発声は出来ていなかったがよく喋っておられた。



私としては、ナマの淀川長治氏も聞いたしカラヤンwithベルリン・フィルも聴いたし、こうなるとカルロス・クライバーを聞き逃したことが悔やまれるなあ。


あとは米朝師匠の噺をなんとか直に聴きたいものである。

色んな「人間関係」(待ち合わせするのに最適な、そういう名前のカフェがスペイン坂にあったなあ)に煮詰まり果てる二週間。


先刻イベントの人材を探していて、ユーチューブを見てたら脱線していき、なぜかLuis Miguelが現れた。


世の中には凄い人がいる。


四六時中(かどうかは知らないが)こんなに声、姿、全てにおいてアマ~~イ色気を全身から発している人がいるのだ。


どんなに範囲を広げても周りでこんな人見たことない。


ま、日本人で太刀打ちできるのは「アキラ フセ」だけだと思う。



ニューヨークに遊びに行っていた頃、ラジオシティだったと思うけどライブがあって観に行った。

この子に一目惚れしない男の子は山にでも登ったほうがいいだろうと思わせる、ラテン系の目の眩むような女の子たちが大挙して着飾って(露出度ものすごく高し)来ていた。


ルイス・ミゲルが現れると、そのキレイどころ達は目をキラキラさせ、失神寸前の大歓声をあげる。


面白すぎて、最初舞台そっちのけで観察。



・・・なんというか、人種の差をイヤというほど感じさせられた。


鳥でもサカナでも極彩色種がいるもんね。


仕方ないのだ。


われわれは、雀なのだ。


じゃがたらの恐ろしいコピー、「ニホンジンて暗いね」は真実なのだ。

それでいいのだ。

いいのだいいのだ、盆踊りなのだ。



個人的にはラテンといえば、ニューヨークでサルサにハマった時期があったから(ちっちゃいクラブでMarc Anthonyが来たりもした)歌手なら、Ruben Bladesが声も姿も死ぬほど好きだったのを急に思い出し、you tubeで観まくる。


Willie Colonとやってるのなんかhorn sectionも素晴らしいのだが、完璧な上にちょっと崩れてるのが(タメてるから)さらに色気を増してる訳で・・


熱帯夜には、さらに暑くなるテキーラ&サルサが効く。

と思い込まないとこの暑さはやってられません。


仕事が山積みで合気道に今日も行けず、2回続けてサボっている。


ワインをヤケ飲みしながらボランティア仕事して(昨日数えたら今年8つの委員会やってた)、合間に忍者と喋ってたら、何かのきっかけで

「ママは群れるのは嫌いなんだね。じゃあ支配するのは?」

と聞かれ、ワインを吹き出しそうになる。


『電脳コイル』とかいうジュニア小説?(表紙がアニメの)のセリフだというのでちょっとホッとするけど、よく図書館から借りてきてソファとかに転がってるああいう類の本て面白いのかなあ。

中身は知らないから表層的なイメ-ジだけど。


まあ私が中一の頃は山口瞳の「江分利満氏の優雅な生活」とか吉行淳之介の「無作法のすすめ」に夢中で、親が非常に嫌な顔をしてたので、それと比べればとやかく言う資格もない。


支配ね~


そういえば自分がゲルマン人ぽい(ワーグナーが嫌いなのはある意味近親相姦的な感じかも)と思う事がないでもない。ヤダヤダ。




先週、三三(さんざ)さんほか落語の会に行く。


柳家三三。前座時代から同じセンスのいい名前で、本人もセンスいい人だ。


10年ぶりくらいだったので、下手から出て座るところまでジっと見ていたら、晩年の正蔵師匠かと見紛うような(言い過ぎ)枯れっぷり。


疲れてるのかと思ったが、はなし始めたら相変わらずキレ良くテンポよく、その上味がある。


上手いなあ。


噺は「壺算」。


始まって、あ~~~この噺、困るんだよなあと思う。


意味がわからないのだ。


「意味」なんて高尚なもんじゃなくて、噺の中で騙される瀬戸物屋の主人同様、あれよあれよと客の煙に巻かれてしまい、小学生レベルと思われる「計算」が全く出来ない。


???マークが頭の回りを飛びまくる店の主人と完全に気持ちはひとつ。


途中でさらに見事な算数問題まで挿入され、怖気づく主人が他人とは思えない。



演ってる方はいつも楽しそうな気がするのは気のせいかな。


此方は悔しくてならずに20年くらい経ってる。


地理と算数が出来ないのは本当にコンプレックス。



今度ぜったい数学の出来る私の周りのどなたかにゆっっっくり、「壺算」のナゾを教えてもらいたい。


生活圏としての「地域」という言葉に、以前から胡散臭さを感じてた。


易しくいえば「ご近所」という意味だ。


主義や主張に共通点がないほうがふつうの人たちの集合体。



教習所に行くと同じような落ち着かない浮遊感を覚える。


むかし、憧れのイッセー尾形と教習所で隣り合わせた時、含蓄のある話を色々聞いた。


「こういうところで人を観察するのは面白い」

と言っていた。


観察するのは面白いが、力を合わせるには物凄いエネルギーがいる、私には。



たぶん今が夜で、疲弊してるからだと思うが、「地域」というカテゴリーの中で活動するのに向いてなさすぎると思う。


利益は勿論、効率や正確さは基本、追求しちゃいけないらしい。


長い時間をかけた変化か、もしくは変化しないことが不文律な世界。


ウチの地域の特性なのだろうか。


その先にあるものが見えてないだけなのか。


任期の2年諦めずやり切れば何か見えるものがあるのかなあ。



当たり前だけど、「価値観」とか「趣味嗜好」の方向性が同じカテゴリーの中にいるのって楽しい。